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それでも、「最近音楽を聞いていない」と感じたのはなぜだろう?

先日、友人で、イラストレーターの萩原ぎんいろさんと会って話をした。僕はネット経由で知り合った友人が何人かいる。その多くはツイッター経由だったりするのだが、半年に一回ぐらいの頻度で会って近況報告をする。

ツイッターの場合、5年とか、10年レベルで知り合いの人が多い。ネットでの繋がりは、リアルでの繋がりよりも範囲が広く、人数が多いが、表面的な付き合いから開始するので、仲良くなるまでに時間がかかる。

それだけ長い間、「知り合い」でいられる、というのもネットでの付き合いの良さではあるけれども。
 
萩原ぎんいろさんは、もともと僕を「音楽制作者」として認識していた。確かに10年ぐらい前はかなり積極的に楽曲制作を行なっていたので、ネットでの立ち位置も、基本的には「音楽製作者」だった。

最近は楽曲制作に割く時間は激減し、年に数曲作るかどうか、というていたらくだ。ありがたいことに、たまに楽曲制作の依頼をいただくので制作をするものの、自主的に作ることがほとんどなくなってしまっている。
 
時間がなくなったからだろうか? いや、時間はおそらくそれほど関係ない。

一番の原因は、僕が音楽を「聞かなくなった」からだろう。2010年前後は、浴びるほど音楽を聞いていたし、音楽を作ることに対して情熱もあった。20代前半の、若いエネルギーもそこにはあったに違いない。
 
そういうことを話していて、ひとつ思いついたことがあった。本当に僕は音楽を聞いていないのだろうか? 

ブログを書いたり、読書をしたりするときには、ほぼ必ず、なにかの音楽を聞いている。iPadにはAmazon Prime Musicのアプリが入っていて、その中には、数千曲を超える楽曲が収められている。そして、しょっちゅうそれを部屋でシャッフル再生しているのだ。

それでも、「最近音楽を聞いていない」と感じたのはなぜだろう?

本は普通、一回読んだらそれでおしまいだ。二回、三回と読むのは相当お気に入りの場合だけで、おそらく五回も読めばかなりの「愛読書」カテゴリに含まれるだろう(人によっては、二回ぐらいでも『愛読書』の中に入ってしまう人はいそうだが)。

一方で、音楽はどうだろうか? ひとつの作品の時間は3~5分と短いが、一、二度聴いた程度で「お気に入りの曲」とはなかなかならないのではないだろうか。
 
サブスクの台頭によって、音楽は実質的にタダになった。CDはレコードショップに行けば一枚数千円で買うことができるが、いまどき、そうやって音楽を「買う」人は本当に少なくなっただろう。

音楽は「落とす」ものになった。しかも「無料(定額)」で、何曲でも、何枚でも。
 
僕は、iPhoneのサブスクアプリに保存するアルバムの数を「5枚」とすることにした。何かをダウンロードしたら、何かを消す。そして、同じアルバムを、なるべく繰り返し聞く。

音楽とは「身体に染み込ませる」ものだと思う。一回聞いても良さなんてわからない。何度も何度も、繰り返し聞いてこそ、良さがわかってくる。

「好きな曲」とは、「細部まで良さを知っている音楽」と言い換えることができるかもしれない。アーティストのライブに行って盛り上がるのは、「誰もが知っている曲」だ。「誰も聞いたことのない曲」ではない。
 
昔、CDを買うためにおこづかいを貯めていた頃を思い出して。もちろん、あの頃だって、「CDという物質」が欲しかったわけではなくて、その中身に用事があった。しかし、ますます音楽に実態というものがなくなって、聞き方がいいかげんになったのは事実だな、と。

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