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ドライブ・トゥ・拡散

仕事でクルマを運転することが多い。以前、愛知県に住んでいたときは自分のクルマを持っていたので、毎日通勤や買い物などに使っていたのだけれど、いまは東京に住んでおり、不要なので手放してしまった。

しかし、クルマの運転はわりと好きなので、たまに運転したくなる。そんなとき、仕事でクルマを運転する機会が多いのは嬉しいことだ。

最近気づいたのだが、どうも自分にとって「クルマを運転する」ことは「癒し」なのである。定期的に運転しないと、調子が狂うというか、フラストレーションがたまっていく。

睡眠や、ゲームや、読書や、将棋などとはまた違う休み方というか、自分にとってはけっこう必要なものだということに気がついた。

クルマの運転は、ほどよい集中が必要で、でも集中し切るということはなく(何かに集中し切っていると、事故を起こしてしまう)、いい具合に「意識を拡散」することが必要で、その行為が癒しにつながっているのかな、と思った。

たとえば仕事で行き詰まっていても、運転中はそのことばかり考えるわけにはいかない。でも、運転していて、ふと仕事のアイデアを思いついたりすることはあるわけで、集中の度合いを下げながら、それについて軽く考えることはできる。

いわば、絵を描いていて、たまに遠くからキャンバスを見て全体のバランス感を把握するように、「対象から少し離れることができる」のだ。電車に乗っていると、なまじスマホなどで仕事を進めることができるので、なかなかこの「意識がちょうどよく離れる感覚」は味わえない。

電車というのは、自分で運転するわけではないし、家のソファに座っている時とそこまでの違いはない。なので、自分にとっては、あまり癒しにならないのである。

余談ではあるが、昔トラックのドライバーをやっていたときがあるのだが、当時はけっこう運転が癒しだったな、と思う。明け方にお城が見える観光エリアをルートとして持っていたとき、毎日その光景を見るのが楽しみだったり。

仕事などで神経が張り詰めていて、それをほぐしたいとき、どうしたらいいのだろうか。やはり中心になるのは睡眠だと思う。疲れていたり、行き詰まりを感じていたりしても、睡眠をとるとそれなりに神経は休まり、アタマも整理される。だから、僕は積極的に昼寝をとる。

しかし、睡眠は意外と疲れるものだ。特に、「寝なきゃ」と思いつつなかなか入眠できない環境というのは、それだけでストレスになるものである。

それがたとえ昼寝であったとしても「寝付けない」というのは結構ストレスだ。寝付けなくてストレスが溜まり、寝汗とともにまた起きる、なんてのは気分最悪である。

睡眠というのは「休息」であるとともに、生命維持に必要な行為であり、睡眠中もけっこう脳は活発に動いているようなので、その機能を思えば当然といえば当然かもしれないが。「本当にリラックスするためには何が必要なのか?」を考える、というのは結構大事かもしれない。

クルマの運転は、自分にとって、けっこう神経を解きほぐしてくれる、趣味のひとつといえるだろうか。運転時の集中レベルというのは、どれぐらいなのだろう。僕はそれなりに運転に慣れているので、それほど集中する必要はないし、かといって単純作業でもないし、それなりに集中してはいる。考えてみると、結構分類が難しい作業である。

散歩もその手の「拡散」としては悪くないのだが、散歩のほうがより「考え事」に比重が行ってしまい、場合によっては休まらないような気もしている。

まあ、目的地に移動する「手段」だけでなく、自分の「癒し」として、ドライブはしていきたいですね。自動運転によってそれを奪われるのは、確かにイヤかもしれない。

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