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稼ぐこととは、「何かを切り売り」すること

転職エージェントサービスに、初めて登録してみた。転職はこれが二度目なのだが、前回の転職は、たまたま知っている社長に「入れてくれ」と頼んで入れてもらっただけなので、「転職」というより、「自主的な移籍」に近かった(しかも、グループ会社間での転職だった)。
 
今回は、本当ははじめての「転職」になるのかもしれない。いわゆる、「転職市場」というものに、はじめて足を突っ込んだわけだ。

転職エージェントという存在自体、よく知らなかった。転職者一人一人に担当がつき、サポートしてくれるらしい。ただ単に転職サイトに登録して応募するだけではなく、面談をして、こちらの強みや志向を把握した上で、いい求人を探してくれたりするようだ。

しかも、彼らの報酬は成果報酬型なので、実際に入社が決まらないとお金が入らない。なので、基本的にはこちらに希望に沿うように提案してくれる、というわけだ。
 
もちろん、彼らも商売でやっていることなので、決まればそれでいいのかもしれない。しかし、商売というのは基本的にそういうものだし、おべんちゃらでもなんでも使ってとにかく自社製品が売れさえすればいい、というようなセールスマンよりは良心的であるように感じる。

内定が取る、ということはあきらかにこちらにメリットがあるので、いわゆる「ウィン=ウィン」のビジネス、ということになるのだろう。転職活動は基本的に孤独なので、一人で進めていくよりは心強く感じる。

求人を見ていると、いまの自分の年収と同じぐらいか、ちょっと上がるものもたくさんある。もちろん、これまでの自分の経歴を生かした場合の年収だ。

一方で、自分がやってきたことの延長ではない分野になると、とたんに年収は落ちる。もちろん上がる場合もあるようだが、それは自分の頑張りというか、実績にかかっているのだろう。当たり前の話だけれど、もらう金額以上に稼がなければ、会社として自分を雇う意味がない。
 
個人のキャリアプランというのは、突き詰めると、企業の方向性とよく似ているな、と感じる。純粋に年収をあげることだけを考えるのであれば、いまの仕事の専門性を高めていけばいい。しかし、それだけでやっていけるほど人生は甘くはないだろう。

「今できること」をベースにキャリアを組み立てていくと、何らかの要因でそれが通用しなくなったとき、それ以外は何もできない無能な人間が出来上がる。また、今できることがベースにした場合、汎用性が低く、どこかで成長が頭打ちになるかもしれない。
 
何かを「売る」、ということはつまり、「自分を切り売りしている」のだ、と思う。本当に価値のあることを生み出している最中は、金を稼ぐことはできないのかもしれない。

たとえば、作家が自分の体験を切り売りしているうちは本を書いて金を稼ぐことができるが、書き尽くして「出がらし」になってしまったら、とたんに行き詰まるのではないだろうか。「価値を作っている最中」のうちは、金にならない、と考えるのが自然だ。

これは、どんな仕事でも共通するのではないか、と僕は思う。価値を作っているうちは儲からない。価値が出来たら、それをすり減らしながら「儲け」に変えていく。

濡れ手に泡のビジネスほどくだらないものはないものだ。金を稼ぎまくるときというのは、限界が見えているなかで、絞れるうちに絞れるだけ絞っておこう、というような姿勢に近い。

僕の寿命はまだまだ先なので、今からそんなに急ぐことはないよな、ということを考える。

企業は戦略を立案するときにそのあたりのことをよくわかっていて、「儲かっているときに」、新しいことを模索したりする。新規事業は、切羽詰まってからだとただの博打になってしまうので、体力のあるうちにやるのが一番だ。

だけど、新規事業はたいていすぐには儲からず、儲かる事業に育てるにはそれなりの時間がかかる。純粋に金のことだけを考えれば、「儲かる」事業だけやっていればいいように思うのだが、賢明な経営者はそうはしない。

一見儲からない、新しいことに挑戦することが、「本当に企業を強くすることだ」、と理解しているからだろう。
 
これまで自分がやってきたことに磨きをかけるのか、それとも、新しい分野に挑戦して、異色のキャリアを手に入れるのか。正解というのはないので、じっくり考えていこうと思う。

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