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ちょっと豊かになる

食事にそこまで関心がないせいか、気づくと同じものを食べ続けている。

特にこのところ、スーパーもなんだかピリピリしてるし、レストランもやっていないところが多いので、特に何も考えずにお弁当を買うという日々が続いた。
 
昔、実家がキッチンをリフォームしたときに、キッチンが使えないので両親は「ほっともっと」に通いつめてリフォーム期間を乗り切ったそうだが、そこそこしんどかったと話していた。

僕は正直、毎日ほっともっとでもそこまで問題は無いので、少し感覚が違うのだろう。しかし、どういうわけか昔からコンビニ弁当が苦手で、コンビニ弁当を買う事はほとんどない。「身体に悪い」という刷り込みが今でも機能しているからかもしれない。
 
家で自粛してる日も多いし、祝日も多い時期なので、少し方針を変えようと思った。noteやTwitterを見ても、飲食店を経営してる人は相当苦しいようだ。

自粛を受けて閉店してるところも多いが、頑張って店を開けているところもある。なので、これから基本的には、支援の意味も込めてなるべく自分が行ったことのない近所の飲食店に行こうと思った。
 
そう思って調べてみると、自分があまりにも近所の飲食店に行ったことがないということに気づいた。行くお店がほぼ固定されていて、新しいところに全然行っていないのだ。

これが自分の趣味である音楽や読書等でいうと、インプットにはなるべくたくさんの多様性を確保したいので、同じ本を読み続けないように自分でルールを設けてストッパーをかけているのだが、興味のないジャンルだと、こうなってしまうということか。

なので、今まで行ったことのない飲食店に行ってみる、という縛りは、インプットの多様性確保の観点からいっても有効だといえる。
 
試しに、駅前の行ったことのないラーメン屋に行ってみた。実は僕はラーメンがそこまで好みではないので、ラーメン屋に行くこと自体が珍しい。

最近は券売機を置いているお店も多いと聞くが、ここの入り口には券売機は無いようだった。ただ、お冷やはどうもセルフっぽい。僕の直前にいた客が当たり前のように自分でお冷やを注いで席に向かったので、そういうシステムなのだろう。
 
カウンター席に一席ずつ等間隔に間隔をあけて人々が座っているので、僕もそれにならって、等間隔に座った。お昼どきでこの人の入りということは、さぞ苦戦しているに違いない。

ラーメンはおいしかった。比較対象がないのでどうおいしいのかが表現できないのだが、かなりおいしいと感じた。お金を払って店を出た。
 
行ったことのないお店に行けば当然ながら、当たりとハズレがある。

以前、僕の家の近所にとても限定された時間だけ空いている蕎麦屋さんがあった。僕は引っ越して来た当初に、その営業時間のレンジの狭さから、当店を「こだわりのある店」だと判定し、「ここは絶対においしいに違いない」という確信を抱いた。

そして、その営業時間に自分が行けるタイミングを虎視眈々と狙っていた。そうしたある日、偶然ながらそのタイミングに行くことができたのだが、そばの味はマジで普通で、他に客は誰もいなかった。
 
どうも老夫婦が経営してるらしく、限定された時間に開店していたのは単に長時間運営ができないという事情だったのかもしれない、とぼんやり考えた。落胆しつつ、しばらくその店の様子をウォッチしていたのだが、ほどなくして店じまいをした。今は、整体チェーンの店舗が居抜きで入っている。

はじめて入った店で「おいしい」と感じるのは衝撃だが、「マジで普通」という感想も衝撃なのだ。

いつもと同じ店に行く場合は、出てくる料理も当然同じなので、なんの衝撃もない。新しい飲食店に入ってみて、評価が上にぶれても下にぶれても、それを感じること自体が、自分の「豊かな感情」なのではないかと思った。

そういったことを積み重ねていくのが、生活を豊かにするのかもしれないとも。
 
かなり日常の矮小なことではあるのだが、少し自分の豊かさを感じた。自粛自粛の世の中ではあるが、飲食店への支援も込めて、今日も行ったことのないお店に行ってみようと思う。

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