見出し画像

なぜ挨拶しない人がいるのか?

Twitterで「挨拶をしない親」に言及されているツイートを見た(ツイート自体は見逃してしまい、どこかに行ってしまったが)。幼稚園に子どもを迎えに行った際、子どもの同級生のお母さんに挨拶をしても挨拶を返してくれないどころか、反応が鈍いというか、なんか変な営業にでもあったみたいな感じのリアクションだったのだという。その反応に驚いて、そそくさと退散してしまったのだとか。

実際にそういうリアクションを受ければ確かにびっくりするだろうけれど、そういう人はいるんだろうなとは思う。個人的に知り合いでなくともなんらかの形で関わりがある人なら挨拶はしたほうがいいに決まっているのだが、実際に怪しい営業をかけられることもあるのだろう。マルチ商法とか宗教とか、主婦を対象にしたビジネスも世の中にはたくさんある。

ほかに可能性として考えられるのは、純粋にコミニケーション能力が低い人もいるんだろうな、ということだ。日常的に挨拶をする習慣がない人はいる。接客業や営業などの仕事をしている人にとっては、挨拶をする行為は日常なので抵抗は無いかもしれないが、仕事の場を離れれば、そうでなくなる人もいるかもしれない。

おそらく、挨拶を交わしたあと、どういう会話を展開していいのかわからない、ということもあるのではないだろうか。職場であれば仕事の話題があるが、そのへんの人と何を話せばいいのかわからない、という人はいるかもしれない。立場や環境が違う人となんの話題でなんの会話をしたらいいのかわからない、ということだ。

そうやって身構えてしまうと確かに難しいかもしれない。

東京に住んでいると、当たり前だが人がやたら多いので、道端で会った人にいちいち挨拶したりしない。通りに出ると数百人規模の人が歩いているので、いちいち挨拶していたらキリがない。一人一人挨拶していたら選挙運動かと思われてしまう。

しかし一方で、田舎ではすれ違った人と挨拶ぐらいはする。先日実家に帰省したとき、小学校までの道のりを奥さんと歩いていたのだが、犬の散歩などですれ違う人とはもれなく挨拶をした。田舎は歩いている人数がそもそも少ないので、自然とそうなる。

田舎の場合、「挨拶をする」という行為は、「自分は怪しくないよ」という意思表示と同じである。挨拶を返さないと不審者扱いされる。そういえば、アメリカに住んでいたときは、近所の人たちとは必ず挨拶し、何かの会話を交わしていた。アメリカは物騒なので、挨拶をしないと犯罪者だと思われることもあるのだとか。

そういう意味では、コンビニで来店した客に対して「いらっしゃいませ」と声かけをするのと、少し似ているかもしれない。コンビニでの声かけは「相手の存在を認める」ことにつながり、万引き防止になっているのだそうだ。

自分が会話したい相手に対しては挨拶をするが、そうでない相手とは挨拶しない。そういう人は多いのではないだろうか。

学生時代、とある書店のインターンをやったことがある。インターン生と言うのは、要するに見習いというか、一番下っ端なわけで、社員用の通用口の側に立って、建物内に入ってくる社員やパート全員に対して挨拶しまくっていたら、それを部長が見ていたらしく、後で褒められたことがある。気持ちがいいな、と。

挨拶が「あなたとコミュニケーションをとる準備があります」という意思表示だとしたら、挨拶しまくる人がいろんな人と接点が持てるのは当然のことかもしれない。挨拶をすることで損することはほとんどない。挨拶をしないことで損することはあるかもしれないが。

外国語でも、最初に勉強するのは挨拶である。挨拶さえできれば、とりあえずコミュニケーションは開始される。それこそ、ボディランゲージでもなんでも。

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。