見出し画像

自分の中の手書き派vsパソコン派

定期的に、「アイデアを書き出すのはパソコンでいいのか? それとも手書きがいいのか?」という問いに自問自答する時期がやってくる。

いまだに明確な答えを持たないのだが、一応、これを書いている現在は「まだぼんやりと頭に浮かんでいる程度のアイデアを形にしていく段階では、手書きのほうが効率がよい」ということにしている。それについて少し考えてみる。
 
頭の中にあるものを、そのまま取り出せたらいいだろうな、と思うことがある。何かいいアイデアを思いついたとき、すぐにそれを文章にできたらいいのだが、ちょっとした「感覚」のようなものだと、すぐには文章にならない。

まだ文章になっていないので、どちらかというと図のようなものかもしれない。しかし、自分のイメージを余すことなく図に起こすのもなかなか難しい。


 
仕事や、小説のアイデアを書き出すとき、パソコンを使ったり、紙に手書きでアイデアを書き起こしたりする。

僕はあまり字が綺麗ではないし、文字を書くならパソコンのほうが圧倒的に速いし正確なので、これまではわりとパソコンを使って書き出すことが多かった。しかし、パソコンだとやはり図を描くのも大変だし、単語同士を繋いでイメージを作っていくのも難しい。どちらも一長一短あるので、なんともいえない、というところではある。
 
文章というのは日常的に書いているし、わりとパソコンに向かえばスルスルと書けてしまう。しかし、当然文章にする前段階の思考というのは必ずあり、頭の中でそれをやってしまって、その結果を文章として出力しているんだろうな、と思う。

自分でやっているくせに、そのことごとくが潜在意識の中で自動的に処理されるため、あまり自覚することができない。

「文章としてまだまとまりがないぐらい、あいまいなものを整理する」ことができたら、もっと深いことを考えることができるようになるかもしれない。現状では、頭の中で自動的に行われているので、それはそれでいいのだけれど、もっと紙やパソコンを使って、効率的に取り出すことはできないのだろうか。
 
紙に手書きで書く文字は、紙のどこにも書けるし、線を引いたり囲ったり、図を描いたりするのも自由自在だ。だから、まだ文章に起こせるレベルではない、なんとなくの断片的な情報を書き出して、整理するのに向いているかもしれない。

それをある程度体系だったものとして書き出すことができるようになれば、パソコンの出番だ。

脳内思考 → 紙に書き出す → パソコンで整理する

この流れがきちんとできれば、一番いいのだろう。


 
いまこうやって書いているブログの文章は、これまではパソコンで箇条書きにしたものを下敷きにしていたが、最近は紙にシャーペンで手書きで書いている。

これまでの延長でやっているので、すでに紙に書き出す時点で文章になってしまっているケースが多いが、まあいいだろう。
 
かなり曖昧な情報をいかにアウトプットして、それを取り出せるか、というのがテーマのような気がしている。そういうことができるようになると、また一段階上のレベルのアウトプットができるようになるのだろう。

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。