将棋と感想戦について
将棋棋士の藤井聡太七段が、棋聖戦で渡辺明棋聖を破り、はじめてタイトルを獲得した。
もちろんタイトル獲得の最年少記録だそうだ。僕のブログは書いてから実際に反映されるまでにラグがあるので、もう世間では話題にされつくした後なのかもしれないけれど、それはまあ、さておき。
藤井聡太の天才ぶりはいまさら語るまでもないのだけれど、いわゆる「神童」というレベルではなくて、もうただただ普通に「神」である。
もう誰も「神童」とは言わない。
「天才少年」とか「神童」とか言われているうちは、どこか「その年齢にしては」という免罪符がついているのかな、という感じがする。
藤井聡太は、そういう免罪符もなにもなしに、将棋界のトッププロを撃破してタイトルを獲得した。あらためてすごいことだな、と思う。
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将棋というのは残酷なゲームだ。これほどまでに、しっかりと実力差の出る勝負もないのでは、と思う。
現実世界は「運」の要素に左右されることが多い。特にビジネスなんてのは運まかせ、と言ってもいいぐらい、運に左右される。
将棋は8×8マスの狭い盤上で、すべての情報は公開されており、不明瞭な点はなにもない。スポーツみたいに、怪我やコンディションを言い訳にすることもできない。
頭脳と頭脳がぶつかりあう、真剣勝負で、運の要素がゼロなのである。ここまで熾烈な勝負って、世の中にそうそうないのでは、と思う。
僕は将棋については素人なのだけれど、昨今のブームや、将棋AIに関心があるので、けっこうウォッチしているほうだと思う。そして、将棋界について知るにつれ、その独特の文化や風習に惹かれることが多い。
たとえば、将棋には「感想戦」というのがある。対局が終わってから、対局していた同士が駒を並べ直して、「あのときの局面は、こうしていたらよかったですね」などと、再検討するというのだ。
僕ははじめ、この「感想戦」というのは、オフィシャルなものなのかなと思っていたのだが、どうもそうではなく、棋士同士が自発的にやる「風習」のようなものらしい。それまで真剣勝負を繰り広げていた相手同士が、最善の一手を模索する作業に入るのだ。
史上最強棋士・羽生善治は、この感想戦をしっかりと行うことで知られているらしい。朝から晩におよぶ長時間の対局のあとで、この「感想戦」を深夜まで行うことも多いという。すさまじい体力と集中力だな、と思う。
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ただ「勝つ」ことを目的とするならば、この「感想戦」は奇妙な習慣だ。
要するに、一緒になって最善手を検討するということは、考えていることを相手に公開することになるわけで、手の内を明かしてしまう、ということになるからだ。
プロ棋士というのは全体で200人もいないので、同じ相手と当たる可能性というのは極めて高い。でも、お互いに同じ道を極める者として、最善手を検討し合う。
こういう風習が普通にある、というのはすごいことだな、と思う。プロ同士の切磋琢磨というか。
藤井聡太の活躍はおそらくとどまることがないというか、タイトル独占も普通にありうるとまで言われている。
どこまでいくのかにも注目ですが、僕はこの「感想戦」をはじめ、将棋の風習や思考法に学ぶところが多いですね。
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