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問題解決は独創的である必要はあるか?

「問題解決大全」という本を読んだ。

「独学大全」という著作で有名になった、読書猿氏の著作である。もともと「アイデア大全」という本が最初に出版され、その続編のような立ち位置で出版された本だ。最近、書店で「〇〇大全」というタイトルのものをよく見かけるが、この一連の書籍がブームになったんだろうな、と思っている。

文字通り、問題解決の手法について、古今東西あらゆるメソッドを集めたものである。かなり普遍的に使えるものから、「そんな限定的な状況ってある?」みたいなレアなものまで、様々なメソッドが紹介されている。まさに大全の名にふさわしい。

アマゾンのレビューを覗いてみると、絶賛している人とそうでない人に評価が二分されていた。絶賛している人のコメントは、自分と同じく「いろんな解決法が網羅的に書いてあるため参考になった」という意見が多い。一方で、否定的なコメントの人は、「内容が読みづらくて分かりづらい」「サンプルが簡潔すぎる」「レビューに割かれている分量が多い」などといったことが書かれている。

この本は、あらゆる問題解決手法が紹介されているのだが、それぞれの手法は4つのパートで構成されている。まず問題解決手法の「タイトル」。次に、その問題解決を実行するための「レシピ」。そして、そのレシピを実際に適用した「サンプル」。さらにその問題解決手法がどれだけ有効なのか、あるいはそれが生まれた背景を解説する「レビュー」。その構成である。

本書に否定的なコメントをしている人は、「レシピ」の抽象度が高い点が不満なのだろう。また、サンプルも、いまの自分の問題解決方法がそのまま載っているわけではない、と。

おそらく、そういう人は「とにかく答えを教えて欲しい人」なんだろうなと思っている。答えそのものがズバリ書かれていないため、苛立っているのだろう。あらゆる事象に適用できるようにあえて抽象度を高くしているのだが、それが読みづらいと文句を言っているわけだ。

しかし、本当に問題解決をしたい人であれば、多少読みづらかったとしても、「ああ、ここにいいヒントがあった」と大喜びするはずだ。なので、ここで否定的なコメントを書いている人は、問題解決の手法が見当たらなかったか、そこまで問題解決に飢えていない人、ということではないだろうか。



この本を読んで考えた事はいくつかある。まず、「問題解決は独創的である必要はない」ということだ。とにかく問題が解決しさえすればいい。問題解決に著作権はない。

また、「問題は自力で解決するものだ」ということ。解決策を思いつくのも、解決策を実行するのも自分である。「問題解決方法」は、今まで考えていなかった側面を照らし出すに過ぎない。今まで考えたことがなかったとしても、必ず自力で解決策を「思いつく」必要がある。

また、問題は常にユニークだが、前例は必ずある、というのも今回本を読んだ上での気づきだった。まず、すべての問題は固有のものである。同じ条件の問題で、これを適用すれば全て解決するといったものは滅多にない。

例えば受験勉強だって、どんな公式を適用すればいいのかが問題になっているはずだ。一見すると同じ問題には見えないが、共通点があり、実は同じ解決方法で解ける、ということが往々にしてある。つまり、考え方を提示してもらったとしても、いつかは自力で答えを探さなくてはならないということである。

一方で、問題は常に前例があるのもまた事実だろう。いま自分が直面している問題が、人類史で初めて直面する問題だということは滅多に考えられない。必ずどこかで似た問題を解いた人はいるはずで、その知見がどこかには残されているはずだ。それを探し出すというのも問題解決方法のひとつだろう。

この本に記載があるわけではなく、直接的には関係がないのだが、僕が好きな問題解決の話で、Googleのサーバー構築方法がある。

インターネット黎明期、Googleのようなインターネット検索サービスはいくつも存在したが、ほとんどすべてが淘汰され、いまではGoogle一強となっている。

インターネット検索サービスは、サーバーにやってくる大量のアクセスをさばく必要がある。大量のアクセスをさばく方法は当時から難問で、そこで壁にぶちあたっている会社は多かったらしい。

天才たちは知恵をしぼり、高価なサーバーを使って、そのサーバーのアクセスをさばく高度なプログラミングをしていたらしいのだが、なかなかうまくいかない。

ところが、Googleはそういうエレガントな方法とは真逆の方法をとった。とにかく安価なディスプレイもキーボードも何もない基盤がむき出しになっているようなサーバーを大量に用意して、少ないアクセスに対して、そのしょぼいサーバーを割り当てるというような、力技に出たのだ。100万のアクセスに対して、サーバーを100万基用意する、といったようなやり方である。

結果、高度なプログラムとサーバーを用意するのではなく、「とにかく大量にサーバーを用意する」という手法によって、Googleは世界の検索大手にのしあがった。

とにかくエレガントに物事を解決しようとしていたのを物量の力業で解決し、結果としてそれが一番エレガントな方法だった、というなんとも痺れる話である。

問題はエレガントに解決する必要はない。解決しさえすれば、それで良いのだ。そういったことを改めて認識させてくれるような本だった。


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