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「ファン」は自分の味方とは限らない

少し前から、松本人志に関する話題が盛り上がっている(もう話題のピークはすぎたか?)。個人的に思い入れはないし、そもそもこれまでほとんどテレビを見ないで育ったので、思い出も何もないのだが、有名な人なので知ってはいる。

少し前のジャニーズといい、最近はテレビの影響力が下がってきたので、テレビで幅をきかせてきた人たちの凋落が目立つようになったな、と思う。今回の件も、「テレビの力が落ちてきた」という流れで見ている。

松本人志という人は、「影響力の強い人」だったのだろう。莫大なSNSのフォロワー数を誇り、テレビ業界では絶大な影響力をもつ。

しかし一連の動きのなかで、松本人志が「ワイドナショーに出る」という発言をXでしたことが話題となった。何を言ってるんだ、と。タレントや芸人というのは、どんな大御所であってもテレビ局に「出演依頼をされる」立場なわけで、個人の一存で出れるかどうかを決められるわけがない、そもそも公共の電波で自身の釈明をしようとするとは何事か、とさんざん叩かれた。結局、テレビ局側の方針で、出演しないことになったらしい。

それ以降、公の場ではSNSを含めて、沈黙を貫いている。従来の感じだと、テレビ局がどうだろうが自分が「出る」といえば出れる、そういう感じだったのだろう。しかし風向きが変わってしまい、そういったことはできなくなった。

松本人志はさまざまなお笑いコンテストの審査員をやり、Xのフォロワー数も1000万人近い。とんでもない影響力をもっているわけだが、いったん風向きが変わると、そういったものの大部分は無効化してしまう。いざとなると、誰も助けてくれないのだ。

松本人志のファンを公言する人は多い。なので、いまの窮状に対し、支援を表明している人もいる。

しかし、たくさんいるファンの中には、窮地に陥っている状況を楽しんでいる人もいるだろう。ファンというのは、基本的には身勝手なものだと思っている。

少し話は変わるが、フィギュアスケートの選手で羽生結弦選手という人がいる。以前、テレビで羽生選手の演技が終わると、大量のプーさんのぬいぐるみがスケートリンクに放り投げられていた。

おそらく、どこかで羽生選手がプーさんが好きだということを発言したことを受けて、ファンが好意で投げ込んでいるのだろう。しかし、あんなに大量にぬいぐるみを個人で保管することなどできないので、おそらく破棄しているものと思われる。

捨てるのがひどいという話ではなく、あれほど大量に放り込まれたら保管などとてもできないわけだから、捨てるしかない。問題は、好きな人に好きなものを捨てさせる行為を強いるファンの行動だと思う。捨てたくないものを捨てさせる心理というのは、自分にはちょっと理解しがたい行動である。

ちょっとでも想像力があればそういう行為には及ばないと思うのだが、要するにぬいぐるみを放り込む人たちはそういった想像力もない人たち、ということになる。個人の欲望を押し付けているだけともいえる。

それがファンビジネスの本質というか、そういったものをうまく受け止めるのが商売というものなんだろうけども。しかし、そういったファンを煽って金儲けをするのは、あまりにもリスクが高い気がする。

ファンは自分を助けてくれないどころか、風向きが変われば自分が窮地に陥る姿を楽しむ、ということだ。もちろん全員がそうではないだろうが、そういう人は多い。要は見せ物小屋のようなもので、見せ物の動物が何か芸をすれば褒めるし、何か困ったことになったら全員で笑う。そういうことなのだろう。

以前、借金玉というライターが、「フォロワー数は、自分に向けられた銃口の数だ」と言っていた。なかなかの至言だと思う。「影響力を持ちたい」「フォロワーがたくさん欲しい」と思う現代人はそれなりにいると思うが、それが必ずしも自分にプラスに働くとは限らない。

観客は面白半分で見ているだけなのだから、状況によっては自分に石を投げることも平気でするだろう。今回の件でそれを実感したのである。

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