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アイデアは重要ではない

本当にそう思っているのかはわからないが、「世の中を変えたい」と標榜する人は巷間に一定数存在する。

そういう人は、「何か画期的なものを発明して、世の中を変えたい」と思っているのだろうか。そういう視点で考えると、たいていの人が思いつくサービスや製品というのは、既に誰かが手を付けてこの世に存在しているため、「ちょうどいいアイデア」というのはほぼ掘りつくしてしまったのでは、という気がしてくる。そんな中で「画期的なアイデア」を思いつく人は、よほどのアイデアマンなのか、と思うだろう。


 
しかし、「最適化」という視点で考えると、少し違った世界が見えてくる。実際のところ、僕は「アイデア」というのは誰でも思いつくこと、または関係者のあいだでは共通認識になっているものが多いのでは、と思う。
 
仕事などで途上国に行くと、そこらへんを流れている川を渡るのに、遠くの橋まで行かなければならなかったり、そもそも橋がかかっておらず、はしけか何かに車ごと乗りこんで渡ったりする必要があったりする。

当然ながら、効率はとんでもなく悪いので、「ここに橋をかけたらいい」ということは誰にだってわかる。問題は、その橋をかけることを「実現させる」のが難しい、ということになる。
 
この世のあらゆることは経済合理性によって決まるので、「橋をかけたらいい」ということは言えても、「なぜその橋をかける必要があるのか?」といったことを合理的に説明する力が必要になるし、有効な人を巻き込む能力も必要になる。

もちろん、政治家に直談判するとか、何かの市民運動をしたりしてもいいのだけれど、結局そういうことをしても「実現するために必要なこと」を他人に押し付けているだけなので、あまり生産的とはいえない。

こういった問題を解決するには、「どうやってそれを実現するのか」といったことをデザインする力が必要で、キーワードは「最適化」だ。ここに橋をかけると、この部分がこう最適化されるので、非常に合理的で、こういういいことがあります、というのを検証していくわけだ。
 
いま、気候変動をテーマにしたビル・ゲイツの著作を読んでいる。

彼は言わずとしれた米マイクロソフト社の創業者ファウンダーなのだけれど、ビジネスの最前線を引退し、財団を立ち上げて、貧困やエネルギー問題などに多くの時間を使っている。

資産が莫大なので、やろうと思えばいろんなことができるのだが、むやみに私産を投じるのではなく、「どうすれば問題が解決できるのか?」といった「最適化」に心血を注いでいるのがわかる。ネットフリックスで彼の取り組みのドキュメンタリを見ていたので、どういう気持ちでそれを実行しているのか、なんとなくのところは理解しているつもりだ。

天才の頭の中: ビル・ゲイツを解読する | Netflix (ネットフリックス) 公式サイト 


 
「アイデア」はなんら特別なものではない。重要なのは「アイデアを実現」するために大きな絵を書くことで、それを「解決まで、まるごとデザインする」ことなのだろう。

そのためには、ワンアイデアだけでは不足で、細かい問題を解決するための無数のアイデアが必要になる。どんなに頭のいい人が取り組んでも、考えても考えてもまだ足りない、深遠な世界がそこにはある。
 
「画期的なアイデアはほとんどない」どころか、世界には目をそむけたくなるような複雑な問題が山積しているので(幸いにも)、着手すべき「アイデア」に困ることはないのだ。もちろん、それで経済的に成功するかどうか、というとまた別の問題ではあるが。

「世の中をさらに最適化」することができれば、また違う未来が見えるだろう。自分の仕事に取り組むとき、そういう視点が持てれば、また少し面白く感じられるのではないだろうか。

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