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なぜ日本のアニメはレベルが高いのか?

奥さんとアニメ「進撃の巨人」をほぼ全話観た。

ほぼ、というのは、一番最後の話だけまだ公開されていないので、まだすべてではない。11月に公開される予定らしい。楽しみである。

自分はもともとアニメの第一期を2013年ごろ見て知り、それ以後はずっと原作を読んでいた。アニメは、ちょっと追いかけてはいたものの、後半はチェックしていなかった。

原作はすべて追いかけていたので内容は把握していたのだけれど、アニメは初視聴だったため、新鮮な気持ちで楽しむことができた。奥さんは原作・アニメともに初だったため、かなり楽しむことができたようである。

かなりの分量があったのだが、プライベートの時間の大半を投入し、一週間程度で見てしまった。

かなりよく練られたストーリーと設定なので、国内はもちろん、海外でも非常に人気がある。海外のYouTuberでは、アニメを見るリアクションを配信している人が多くいるのだが、そういったリアクション動画なども含めて楽しむことができた。

海外に日本のアニメファンがたくさんいるというのはもちろん知っているけれど、実際にこういったものを見ると実感がわくな、と思った。

今回、改めて思ったのは、日本はこの「優れたアニメができる」までの仕組みが本当に整ってる国なんだな、ということである。というのも、進撃の巨人はめちゃくちゃ深く練られている作品で、スカッとわかりやすい爽快なアクション、という感じの作品ではない。

難解なだけでなく、登場人物も多い。おそらく、映画やアニメなどに出資する目線で見ると、「ストーリーが難しすぎる」ので、いきなりこれを脚本として提出された場合、映像化には至らないのではないだろうか。

そもそも、進撃の巨人を描いたのは当時20代の作者なので、その年齢の無名の若者がいきなり書いた脚本が映像化するわけがない。つまり、「日本でないと」この作品は世に出なかった可能性が高いのだ。

日本の漫画は、全盛期と比べると掲載雑誌の発行部数が減ったとはいえ、ぽっと出てきた新人の作品を「とりあえず連載させてみる」ことができる。もちろん一定の水準を満たしていなければならないが、連載をはじめることそのものは比較的容易にできる。

連載がはじまっても、人気がなければ打ち切りにすればいいだけなので、チャレンジがしやすい。この「とりあえずはじめてみよう」という姿勢があるので、どんどん新しいものが生まれてくる土壌がある。

人気がなければ打ち切りというのはシビアな世界ながら、ほかの人の作品が打ち切られるからこそ自分にチャンスが回ってくるわけで、腕に自信のある人にとっては非常によい環境だといえるだろう。

漫画で人気作品となれば、アニメ化される可能性が高まる。逆にいうと、アニメを作る会社は、すでに人気が確立されている原作があるので、リスクも軽減できる。実にうまい仕組みだなと思う。

まず、日本人として「漫画を読む」習慣があり、その漫画を生産する組織として出版社がある。人気作品をアニメ化するアニメ制作会社があり、そのアニメの制作を支える会社が東京を中心に存在する。

これらは、すべてが連携していい作品を世界に送り出すエコシステムなんだな、と思う。ハリウッドに映画製作のためのすべての業種が集結しているように、東京も漫画・アニメを生産するエコシステムをもっている。何かの要因でこれらがひとつでも死ぬと、成立しなくなってしまうのだろう。

単一の作品だったら、世界のどこかにとんでもない才能をもった人はいるかもしれないが、このエコシステムがすべて揃っている国はほかにないだろう。

中国・韓国も、アニメスタジオがあり、アニメーターも大勢いるけれど、その上流の「漫画を生産するシステム」がないために、中国・韓国のアニメ作品というのはまださほど台頭してきていない。

そういう意味では、けっこう特殊なのがスタジオジブリで、人気のある原作ではなく、宮崎駿と高畑勲の思いついた原作を映像化することができた。ある意味ではハリウッド的なスタイルだったというか、新人が育たなかったというのもそういう部分にあるのだろう。

やっぱりこれからも漫画で人気が出たものがアニメに昇華されていく、という流れが主流になるのではないだろうか。この仕組みをもつ日本の大きな強みだと思う。

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