人々はなぜ「ビジネス書」を買うのか?

ライターの堀元見が、対談動画の中で「人々が求めているビジネス書」について語っていた。

上記動画は尺が長いので、気になった部分だけ。この世界にはいろいろな動機で本を買う人がいるが、ビジネス書を買い求める人の多くは、「簡単に相槌を打ちながら読める、ちょっとしたノウハウを求めている」と。

ビジネス書を刊行すると、「本についてしゃべってくれ」という講演依頼がちょくちょくくるらしい。しかし、そういう場では「すぐに役立つノウハウをしゃべってくれ」という意図が多く、それ以外のことを話すのにはそぐわない、と。

世に出ている本のうち、ビジネス書などのように「すぐに役に立つ情報」が書かれているものと、そうでないものがある。割合としては、役に立たない本の方が多いだろう。

なぜかというと、本は「人の役に立つ」役割を必ずしも担っていないからである。本に限らず、世の中にある知識のうち、大半は役に立たない。世界には、自分には関係がない情報のほうが多いからである。

本屋さんに行くと、まずビジネス書などが「買ってください」とばかりに平積みでアピールして置いてあるが、ちょっと奥まったところで、何年も買われるのを待っている本たちのほうが数としては多い。

もっと「読んでください」アピールの少ない図書館に行けば、そこにあるのは「すぐには役に立たない本」ばかりだ。しかし、図書館に価値がないのかといえば、もちろんそんなことはない。

やっぱり売れる本は「すぐに役に立つ本」である。「お得な本」と言い換えてもいいかもしれない。結局、みんな「ノウハウ」が欲しい、ということらしい。

ノウハウというのは、裏技的な「コツ」というか、それさえ習得しておけばすぐに役に立つ、みたいなやつのことだ。そういうのを人々は求めているようなのである。

例えるなら、「割引のお得感」を得たい、という感じだろうか。リスクをとって、多大な努力のうえ大成功を手に入れる方法ではなく、パック寿司を3割引で買うような、そういう「お得感」。そういったものを簡単に手にすることのできる「裏技」を人々は求めているのだ。

でも、結局それはちょっと得だよね、という程度で終わってしまう。なので、裏技的なものを求めて質問しているのに、返ってくる答えがあまりに普通の「努力の話」だと、「そういうことを聞いているんじゃない」と怒り出すんだとか。

なるほど。

正論が嫌われる理由は、それは誰しもが理解していることだからだろう。結局、みんな、自分がどう行動したらいいかとか、どういう努力をすればいいか、ということは頭ではわかっている。

しかし、それをしたくないので、回避する方法を常に求めている。だから、そういった「スマートな生き方」が書かれていそうなビジネス書が売れるのだろう。

考えてみれば、そうやって「楽をしたい」という気持ちで本を読んだことはほとんどないな、と思う。たいていは知的好奇心を満たすために読むので、自分の生活にはほとんど関係のない本を読むことが多い。

でも、読書における「世界の広がり」は、自分に関係のない知識に触れることだと思う。すぐには役に立たなくても、時間をかけて醸成し、巡り巡って自分の知見を深めることにつながる、と。

ビジネス書で「ノウハウを求める人々」は、本に書かれていることに頼っている、とも言える。僕は本に頼っていないので、役立つ情報が書かれていなくても、別にどうとも思わない。読んで、知的好奇心が刺激されれば、それで十分である。

年始、少し体重がやばいことになったので、またダイエットをはじめた。一ヶ月ほど経つのだが、4キロぐらい痩せた。特別なダイエット法を試したわけではなく、コツは何もなく、ただ「頑張った」だけである。

朝・昼は食べるが、14時以降は1カロリーも摂取しない。食べ物はもちろん、飲み物も水だけ。白湯にして飲むこともあるが、水以外は飲まない。そして、夜に近所を2キロちょっと走る。これだけで4キロ痩せたのである。

ダイエットは非常にわかりやすい。これほど「裏技」が横行しているジャンルもそうそうないだろう。しかし、何か決定的な方法論が生まれたら、それらすべて駆逐されてしまうに違いない。そんな裏技なんてない、ということがよくわかる。


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