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どうやって橋をかけますか?

アイディアに価値がないと言われて久しい。

今世界で流行っているサービスを思い返してみればわかると思うけれど、これは絶対に思いつかなかったな、と思うようなサービスは少ない。

例えばメルカリは一世風靡しているけれど、インターネットオークションという分野では昔からYahoo!オークションなどがあるわけだし、今や一流企業となったDeNAだって、もともとはネットオークションの分野からスタートした会社だった。

もちろんスマホをメインとしたオークションサイトという点においては特徴的かもしれないけれど、それが「誰も思いつかなかったアイディアか」と言えば、そうではない、と思うのではないだろうか。
 
新興国に行くと、橋がかかっていない川に出くわすことがある。こちら側に街があって、そのすぐ向こう側に街がある。

しかし、あいだに川があって渡れないので、大回りするか、あるいは艀のようなものに車を乗せて渡るしかない。どちらにしても大混雑していて、非常に効率が悪い。

ここに橋をかけたらいいんじゃないかな? というのは誰だって思いつく。そんなことは、全員が分かり切っていること。

問題は、橋をどうやってかけるのか、ということだ。もちろんお金がいるし、それを施行するための会社を確保しなければならないし、公害対策なども考えなければならない。クリアしなければならない課題が死ぬほどある。

そもそも、ここに橋をかけるべきなのか? という合理性の議論からスタートしなければならない。
 
どういった問題をクリアすれば橋がかけられるのかを整理して、一つ一つの解決策を考え、それを地道に実行していくしかない。そういう労力の途方もなさを思えば、「橋をかければどうですか?」と発案することにほとんど何の意味もない、ということがわかるだろう。
 
アイディアとは、「ここに橋がかかっていたらいいのにな」と言う程度のことでしかないのでは、と最近よく思う。

よく、アイディアを盗まれたら困ると言う人を見かけるけれど、僕はこのようにアイディア自体に価値は無いと思っているので、何にこだわっているのかな、とよく思う。重要なのは問題を整理する力と、それを解決する力、そして何より重要なのは、それを一緒にやってくれる仲間を巻き込む力だ。

脱税をする方法ならまだしも、世の中を良くするためのアイディアなら、広げていくほうが価値がある。
 
もちろんほとんどの解決策や実行力というのは限りなく泥臭いものであって、華やかなものでは全くない。そもそも、「問題を解決する労力」というのは、たんなるアイディア出しとは桁違いだ。

だから、ビジネスで何かを進める際にもっとも重要なのは「気合い」なんじゃないか、という身も蓋もない結論に到達しつつある。

圧倒的な課題を解決するには、ここに橋をかけたらいいんじゃないですか? と寝言のように言うことではなくて、実際に手と足を動かして、人を巻き込んでいくことではないだろうか?

まずは、何をするべきかを整理して、目の前のタスクの山に取り掛かる。

ひとつずつ……地道に。

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