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ちゃんと使って大事にする

引っ越し作業を進めている。

これまでに何度も引っ越しをしてきたけれど、一度も引っ越し業者を使ったことがない。いつも自分で車を使って引っ越しをしてきた。今は自分の車を持っていないのだけれど、ちょっと利便性の高い大きめの車を使ってやるつもりだ。
 
いまの家に永遠に住む予定はもちろんなかったため、いつかは引っ越す、ということを意識してきた。具体的には、引っ越しの障害になるものを持たないようにしてきた。

うちに大きな家具は少ない。ソファとダイニングテーブルがあるが、ソファは簡単に手で持ち運びができる軽いものだし、ダイニングテーブルは天板が分解できる。冷蔵庫と洗濯機、電子レンジ、テレビはレンタル品なので、電話一本で引き取ってもらえる。

また、無駄に重いチェストや本棚の類はない。本棚は、メタルラックで分解可能なものを使っている。ちなみに、床に直接断熱シートと低反発マットを敷いているので、ベッドもない。こう書くと、まるで引っ越すのを前提に暮らしていたかのようだ。
 
それでも、一応四年も住んでいたので、それなりに雑多なものはある。それも片付けなければならない。

「片付ける」という言葉はいろんな意味を包括しているが、要するにこの場合は「捨てる」ということだ。特に、クローゼットの下段には、ここに引っ越してくるときに入れてそのままほとんど開封していない段ボールなどがある。そんなもの、四年も待っても一切使わなかったものなのだから、要するに完全に不要物であるわけで、全部捨ててやればいいのだ。

「どうやって捨てるか」だけを考えればいいともいえる。そもそも、そこに何が入っているのかがわかっていない時点で、全く所持している必要性がないことを証明しているようだ。

逆説的だが、「ものを大切にする」ためには、「ものを捨てる」ことが必要だと思う。使っていないものは容赦なく捨ててやればいいのだ。

そうしたら、そもそも捨てる候補にあがるようなものは最初から買わなくなり、買い物に慎重になる。ものというのは、「どれだけ熟慮して買ったか」の段階で、「大切にする」ことが決まっているような気がする。

僕は最初に一人暮らしを開始したときに、お祝いとして母親が冷蔵庫や洗濯機などの家電一式を買ってくれたのだが、たったの二年後に海外赴任が決まり、すべてリサイクルショップにタダ同然で引き取ってもらった。いまでも母親にその話をすることもあるのだが、母親は全然気にしていなかったものの、「せっかく新品を買ってもらったのに」という思いが強く、いまでも心に残っている。

だから、多少割高であっても、いまはレンタル家電を使用している。奇しくも、いまは結婚して新しい家に引っ越そうとしており、奥さんの使っている家電を使う予定なので、いま使っている家電たちとはおさらばすることになる。

リサイクルショップに売り飛ばすことなく、はじめからレンタル品から、通常の機能として引き取られていくことになる。……こっちのほうがいいのかな、と思う。

一方で、いま使っているダイニングテーブルは、作業台であり、食卓でもあるので非常に気に入っていて、これはずっと使おうと思って買ったものだ。これは、新居にももちろん持っていく予定だ。

そういった具合に、「ちゃんと買ったもの」は「ちゃんと大事にする」ということになる。「大事にする」とは、押入れにしまっておくことではなくて、「ちゃんと使ってあげる」ことだと思っている。

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