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Twitterが死んで、生まれ変わるまで

なんかTwitterが突然ロゴを変更したらしく、「X」とかいう謎のロゴに変わった。

なんでも、今年4月にすでにTwitterという会社はなくなっており、イーロン・マスクが設立した「X」という会社と合体していたようで、よく見るとロゴが変わっただけでなく、下のほうにある提供会社の表記も「X corp」となっていた。

イーロン・マスクによって「Twitterが破壊される」というのがここ最近は話題になっていた。なんだかんだいってそんなに大きくは変わらないんじゃないかと思っていたが、ロゴが変わったり会社が変わったり、もう歯止めがかからないような気がしている。

Twitterはなくなるのだ。

noteでも何回か書いているが、もうすでに2〜3年前からTwitterはほぼ見ていない。飽きたというより、なんとなく見たくなくなってしまったというのが正直なところだ。

だが、久々にタイムラインを見返していて、なぜ見たくなくなったのか、ということを思い出した。

僕はTwitterをフォローしてくれた人をほぼ全員フォロー返しするようにしていたので、フォローしている人だけでも4000人ぐらいの人がいる。それだけの数がいるので、とてもじゃないがタイムラインが追い切れず、仲の良い人たち100人ぐらいを専用の個人リストに入れて、基本的にはそのリストの中だけを見るようにしていた。

とある、音楽関係で知り合った親しい人がいて、その人の音楽関係のツイートをよく見ていたのだけれど、コロナが流行りだしたあたりから、急に反ワクチン的なことを言い始めた。コロナ対策をめぐって、現政権を批判するようなツイートも増えた。

なかにはそういう人もいるだろうぐらいに思っていたのだが、その人が反ワクチン的な主張をリツイートしまくったせいで、フォローしていない人のツイートもかなり視界に入るようになり、自分のリストを見るのもなんだか嫌になってしまった。

一人だけだったらまだ良いのだが、他にも似たような人がいたため、なんというか、Twitter自体が自分に馴染まないものになったな、と思った。もしもコロナがなかったとしたら、今でも普通に使っていたのかもしれないが、コロナが流行り出した当時のTwitterは非常に居心地が悪かったのである。世界全体がナーバスになっていたのだろうか。

現在は、コロナはある程度おさまったと言えるだろうか。実際、もうテレビでほとんど感染情報について報道されないので、どの程度感染者が増えているかはよくわからない。

蓋を開けてみれば、日本の感染対策は先進国の中ではまともだったと言えるのではないだろうか。当時は批判している人もいたけれど、結果から見れば死者数も比較的少なく、悪い対応ではなかったように思う。

政府も、国民を説得する際に本音と建前というのがあり、理解を得るのはなかなか難しかっただろう。ウィルスが武漢から外に出た時点で、どれだけ感染対策をバッチリやったとしても、いずれは日本に入り込んでくるので、過度な対策は初めから意味がなかったとも言える。

もしも武漢の中で封じ込めに成功して、武漢の外に全く出ないという状況が作れるのであれば、ロックダウンには意味があったのかもしれないが、武漢の外に出た時点で世界中に蔓延するのは確定していたようなものだ。

もし、外国人の受け入れをせず、コロナと断絶しているとしたら、ほぼ鎖国のような状態になってしまうので、国民全員がワクチンを十分に打つか感染するかのどちらかをしない限り、パンデミックは収まらなかった。なので、感染対策は「どれぐらいのスピードでコロナ患者を出すか」の調整であり、そのために国民にワクチンを打ったり、行動規制をしたり、その方法を講じていたと言える。

ただいたずらに批判をしている人たちは、長期的な視野を特にもっていなかったように思うし、当然ながら専門知識もなく、ただわめいているだけの雑音みたいなものだった。そういうものが、無数に入り込んでくる。とにかく、コロナ禍はSNSとの付き合いにおいて、あらためて考えるところがあった。

そうこうしているうちにイーロン・マスクに買収され、よくわからない「X」というSNSになってしまった。遠からず、全く別のSNSになってしまうことが濃厚である。アカウントがある以上は見るのかもしれないが、さらに離れることは間違いないように思う。

本当に変わってしまうのか、確定ではないけれど、元に戻ったりはきっとしないんだろうな、とどこか冷めた目で見ている。

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