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現実の少し外側から、現実を覗いている
日々いろんな本を読んでいるのだが、小説を読む頻度がけっこう下がっているな、と思う。この傾向は数年前からである。年間で何冊ぐらい読んでいるのだろうか。数えてみたらわかるのだが、肌感覚では2割ないぐらいだろうか、と思う。
昔は、「本」といえば小説のことを指していた。学生はあまりビジネス書を読まないし、経済がどうたら、といった本も普通は読まないだろう。なので、「本好き」というのは、「小説が好き」ということを意味した。
しかし、これが大人になると少し逆転して、小説を読まなくなるかわりに、ノンフィクション、経済、ビジネス書などが増える。僕は平均的な日本人よりはどちらも読んでいるとは思うのだが、比率として小説が下がっているのは事実である。
ビジネス書そのものは悪くないと思うのだが、そればかり読むのもよくない。たとえば、起業家的な人の書く本の内容は、とにかく妄想が多い。こうなったらいいな、こういう社会を実現しよう、みたいな内容などだ。
そういった妄想をして、それを実現するために動くのがビジネスパーソンなので、それは真っ当な思考回路なのかもしれない。しかし、そればかり考えていると、ちょっとアホっぽく見えるのも事実である。役には立つかもしれないが、深みに欠ける。
数年前からオンラインサロンなどが流行っているが、もっと妄想の度合いが強いものだと思う。場合によっては、ちょっと詐欺っぽかったりもする。起業家は妄想を語って、金や人を集めたりするものだから、ある程度は仕方がないものだとは思うが。
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小説は虚構なのだろうか? もちろん、小説というのはフィクションであり、最初から「虚構だ」と宣言しているジャンルになる。読者ももちろん、虚構であることはわかった上で読んでいる。
しかし、小説に「現実味」はある。小説作品において、リアリティは重要だ。読んでいてリアリティを感じられないと、読者は読むのをやめてしまう。それがどんなファンタジーであってもそうだ。
小説でないと得られない情報はある。わかりやすい例としては、歴史モノなどはそうだろう。江戸時代の人々の暮らしは、文献を読めばわかるのだろうが、専門家でもないのに江戸時代の市井の暮らしの本をわざわざ読もうという人は少ないだろう。それなら、たとえば藤沢周平の小説を読んだほうがわかりやすい。
教科書みたいに無味乾燥としたものを読んでも、リアルな姿というのはなかなかイメージがしにくい。現代を生きている人の数だけ人生があるはずだが、自分は自分ひとりの人生しか生きることができない。他人の人生を体験するには、本を読んだり、映画を見たりするしかない。
小説というのは、虚構を前提にして、現実を描いているのだ。
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ここまで考えて、「ビジネス書」と「小説」というのは、対になる存在なのでは、と気づいた。
ビジネス書は、現実の中から非現実を見ている。妄想、綺麗ごとといってもいい。それに対して、小説は現実の少し外側から、現実を覗いている。綺麗ごとを取り除いたリアルさといってもいい。
ファンタジーであっても、そういった虚構を借りながら、現実世界のリアルさを描いているのだ。まったくリアリティを感じさせないファンタジーは、きっと読者にも支持されないだろう。
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読書をする際は、両者のバランスをとることが大切かな、と思った。偏ってはいけない。来年は、小説とそれ以外が同じになるように、交互に読んでいくのもありかな、と思った。
そういう読み方をしている人は少ない気がする。
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