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社畜ってなんですか?

仕事をしていて一番しんどかったことは何か、というのを振り返ってみると、家に帰れないぐらいの忙しさが続いたことでも、中国語も話せないのに中国に赴任して仕事をしなければならなかったことでもなくて、「絶対にこれは成功することはないだろう」というプロジェクトのPM(プロジェクトマネジメント)を任されたことかもしれない。

当時の上司(社長)が思いつきで言い出したものを、なんとか形にするという仕事だった。かなり早い段階で(というか最初から)それをやる理由が理解できず、成功までの道筋が全く思い描けなかった。

「成功するまでの道筋が思い描けないプロジェクト」をリードするというのはかなりしんどいことで、「こうすればうまくいくんじゃないか」と思えている状態や、走り出している状態になったら、ただ目の前のことに集中すればいいのでしんどさはない。

「うまくいかない」とわかっていて、さんざんそれをインプットしているのに、特に理由もなく続いてしまっているプロジェクトは悲惨だ。体力的に、というより、精神的にまいってしまう。それやる意義がわからないからだ。社内外問わず、いろんな人に迷惑をかける。

さすがにこういう状態になると、会社の舵取りを失敗している、と思うのだが。
 
こういうとき、確かに会社員というのは立場的に弱いな、と思う。もちろん会社員でも経営者に意見することはできるし、明らかに間違っていることは進言するのだが、基本的には会社からのオーダーに応えるのが仕事だからだ。

無理そうに思えたことであっても、それをなんとかしてできるように知恵を絞るのが仕事であり、「これはできませんよ」と言うのは仕事ではない。

「これはできません」となったら、「じゃあなんで君はここにいるの?」という話になるからだ。ここが一番会社員としてつらいところだと思う。


 
しかし、もし会社員、つまり傭兵としての実力が十分にあれば、「ここから出たい」と思ったときに、自分の足で出ていくことができる。

僕はその会社にいるのがいよいよ耐えきれなくなったので、会社を出ることにしたのだが、思いのほか簡単に外に出られて、自分の望む会社に就職することができた(まあ、たまたま必要とされているスキルを持っていたことに加えて、年齢的なものもあるとは思うけれど)。
 
こうした自分の体験からも、よく言われる「社畜」という概念について思うところがある(最近は以前ほど聞かなくなったが……)。「社畜」とは読んで字の如く「会社に飼われている家畜」のようなものだとされているが、会社の言いなりになって例えば長時間労働に耐えたり、自分の意見が言えない、といったことが社畜なのではない。そんなのは、たとえ独立したって当然のようにあることだろう。

そうではなくて、「ここから出たいと思ったときに、自分の足で出ていくことができない状態」のことを「飼われている家畜のような状態」、つまり「社畜」なのではないか、と思うのである。


 
もちろん、たとえば毎年職場が変わっている、というようにしょっちゅう転職しているような人は望ましくないが、ずーっと同じ場所にいて、そこから一度も出たことがないと、そもそもそこが嫌になったときに出ていくことができない。一度も外の世界に出たことがない家畜は、そこ以外で生きるという発想がそもそもないからだ。
 
頻繁な転職を勧めるものではないけれど、やはり10年に一度ぐらいは会社を変えてみるのもいいのではないか……、ということを思う。居心地がよくて、そこから出たくならないのであれば別にいいのだけれど、気づいたらそこから出る足腰が弱っているかもしれず、手遅れになってしまう可能性もあるからだ。

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