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「アマチュアだからレベルが低い」は本当か?

子どもの頃、親に「プロ」の言葉の意味を教えてもらったことがある。それまでなんとなく、「プロ」というのは「技量に優れた人」というぐらいのニュアンスで捉えていたが、「それでお金を稼いでいる人」という定義はなんだか意外だった。そもそも、子どものうちは「お金を稼ぐ」ということ自体やったことがないので、その難しさにピンとこなかったのも当然かもしれない。

ただ、そのときに感じた違和感を当時は言語化できなかったが、いま考えてみると、なんとなくわかることがある。つまり、「お金を稼ぐというのは難しいことではあるけれど、世の中にはお金が稼ぎやすい分野と、稼ぎにくい分野があるのではないか」ということである。

もちろん、まだお金を稼いだことのない頃のことではあるが、なんとなくそれを感じていたのだと思う。例えば、サッカーや野球でご飯を食べるのはかなり難しいことだが、トラックの運転手や工場の作業員としてお金を稼ぐのはさほど難しいことではないのでは、と思ったのだ。そしてそれは、ある意味ではその通りである。



最近、「在野ざいやで研究をしている人について書かれた本」を読んだ。

「在野」という言葉はそこまで一般的に用いられるものではないが、組織に所属していない人、という意味合いである。研究者というのはだいたいは大学などの教育機関か、企業の研究職として働いている人をイメージすることがほとんどだが、なかにはそういった機関に所属せず、いわばフリーのような立場で研究をしている人がいる。そういう人のことを「在野」と表現することがあるようだ。
 
工学系の研究など、大掛かりな実験設備や測定器などを利用する必要のある研究の場合は、ある程度の資本が必要になるので、在野で研究するのは非常に難しい。しかし、文系の研究などで、文献などに当たれば研究が進められるものの中には、在野で活躍している人はたくさんいるようだ。
 
そういう人にとって、いわゆる大学教授などのポストについて、大学からお給料をもらっている人は、いわば「プロ」である。他にも、ジャーナリストなどで活動をしながら、研究をまとめている人も、プロといえるかもしれない。しかし、この手の分野だと、元手がいらないという観点からも、在野で活躍している人はたくさんいるようだ。

また、もちろん、冒頭でも書いたように、研究の内容によってはお金になりにくい、ということがある。工学系の研究はお金もかかるが、その成果によってビジネスに繋げることも可能なため、研究職というポストを得やすい、という背景があるだろう。

しかし、日本の政治史を研究したり、昔の小説家の生涯などを研究したりするような場合は、お金になりにくいので、そういった立場を獲得するのがそもそも難しい。なので、必然的に在野での研究者が多い、ということになる。

あと意外なところでいうと、生物学の分野も在野の研究者が多いのだそうだ。虫や植物などの生態を調べている人はもちろんいるが、「それがなんの役に立つの?」ということを問われると、なかなか難しいところがある。逆に言うと、「こういうことに役立ち、こういうビジネスが展開できます」ということが言えないと、なかなかお金を出してくれるところはない、ということだ。そう考えると、ビジネス世界と研究の世界は似ているな、とも感じる。

在野だから、お金が稼げないからレベルが低い、ということは決してない、ということがよくわかるのでは、と思う。研究というのは、「人類がまだ誰も知らないことを調べたり、考えたりして前進させていく」行為だ。たとえお金にならなくても、自分の研究したいことを研究する、という生き方は充実感があるのでは、と思う。

紹介した本のサブタイトルは「勝手にはじめる研究生活」というものだが、在野の研究者になるために必要な資格などはないので、これについて研究しよう、と決めた瞬間に「在野の研究者」になれる。

身近なことでも、少しでも疑問に思ったことがあるなら、それについて調べ、もし誰も知らないような領域に到達したら、その外の領域に踏み込んでいくのも面白いのではないだろうか。

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