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その価値観は「正しい」ですか?

日本航空が、アナウンス時に「レディース・アンド・ジェントルマン」という文言をアナウンスするのをやめたらしい。

なんでも、性的マイノリティに対して配慮するため、というのがその理由らしい。この動きは日本航空に限らず、東京ディズニーランドなど他の会社でもすでに実施されていて、最近のトレンドになっているようだ。

実際にそういうクレームがきているから対処しているのか、あくまでも予防的な取り組みなのかはわからないが、とにかくそういう方向性に社会は動き始めているようだ。
 
あくまで個人的な意見にはなるが、さすがにそれはちょっとやりすぎなのでは……と思う。性的にマイノリティの人がいるのは理解できるが、人類は生物学的には男性か女性に分類できるわけで、「レディース・アンド・ジェントルマン」で問題はないだろう。

「自分は体は男性だけど心は女性だ」と言う人がいれば、それは「女性」に分類すれば解決するのではないだろうか。わざわざどちらにも属しない、という区分を設けるのは意味がわからない。僕は性別的にも精神的にも男性だが、別に普段から自分が男性であることを意識しているわけではない。

ただ、生まれたときからそうだから、そうであるというだけだ。それについて深く考えたことはない。


 
……ということを普段から思っているのだが、こういう考え方というのはすでに時代遅れなのかな、ということも考える。思うに、いまはこうした価値観の変遷というのは過渡期にあって、答えが出るのは数十年後なのだろう。

遠い未来、過去を振り返ってみて、あのときのあの風潮は間違っていたねと振り返るのか、価値観がアップデートされていくか、どちらかがなされるに違いない。

もしかしたら、数十年、数百年後の世界は、性別による差をなくすために、男性や女性という区分を撤廃しているかもしれない。未来の世界で何が起きるかは誰にもわからない。

もし、そういった時代が到来したならば、冒頭の僕の価値観は、ひどく時代遅れの、野蛮な考え、ということになるのだろう。
 
「価値観」というのは社会の変化に伴ってどんどん変わっていくが、「個人の価値観」は、いったん形成されてしまうと次第に固着されていくのかな、ということを思う。中高年の人で、女性蔑視の発言をしたり、差別的な暴言を奮ったり、パワハラを振るうような人は時代遅れの感覚だと思うが、単純にいまの時代の価値観に対応できていないのだろう。

二十代、三十代だったらまだ修正することができるが、それ以降になると、変えていくのが難しいのかもしれない。


 
「価値観の変動」というのは面白い。価値観とは、あくまでも他者との共通認識の世界なので、科学的ではない。科学的には男性の性質や女性の性質に違いがあるのは明らかなのに、差別的な発言をしてはならない、というのはやっぱり不自然だろう。

でも、それによって不利益をこうむる人を減らし、傷つく人を減らすのならば、それは人間的な取り組みといえるかもしれない。
 
ひとつ言えることがあるとすれば、「これはちょっとやりすぎなんじゃないの?」と思っても、どう転ぶかはその時点ではわからない、ということだ。

あまりにもそれが行きすぎていた場合は、最終的には元に戻るのだろうけど、そういうのって何か例があるだろうか?

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