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文章のバリ取り

日々、大量の文章を書いている。

今、書いているこの文章もそうだが、他にも、誰にも見せない日記を書いている。仕事用のノートにも大量に仕事のことを書くし、一日中、仕事のメールを書いている。
 
僕の仕事の大半は何かを読んだり書いたりすることだといってもいい。ここまで文章を書く生活を送ることになると思わなかった。あらためて、現代社会は文章を書いたり読んだりすることをベースに成り立っているのだと実感する。
 
これだけ大量の文章を書いていても、一発で理想の文章は書けない。必ず推敲して、文章に手は入れる。ただ、推敲というのは、限度を設けないと際限なくやりすぎてしまうので、回数を決めている。

今書いているこの文章の、推敲回数は「3回」だ。1回目で誤字脱字を修正し、2回目で足りない部分を補い、3回目で不要な部分を削る。やっていくうちに、そのサイクルがちょうどいいということがわかってきた。

仕事のメールは、1回目で言いたいことを書いて、2回目でそれを整え、3回目でクッション言葉を入れる。クッション言葉と言うのは、「恐れ入りますが」とか、「お手数ですが」など、ビジネス上のやりとりを円滑にするための言葉のことだ。

最初からこれを入れてしまうと何が言いたいのかわからない文章になってしまうので、まずはストレートに言いたいことを書いて、そこから柔らかくするという方法とる。経験上これが一番速い。
 
小説の場合も、大体3回ぐらいは手を入れる。小説はエッセイや仕事上のメールとは違って、そこで起きていることを描写しなければならないから、何を書いて何を書かないかの取捨選択が命だ。

足りないと何が起きているのか伝わらないし、かといって過剰でも読みづらい。必要最小限の文字数で、情景がしっかり伝わるのが理想の状態だ。そんなところに一発でたどり着けるわけがなく、試行錯誤しながら、少しずつにじり寄っていく。その繰り返しである。
 
文章を直す作業は「バリ取り」に近いのかなと思うことがある。バリというのは、工業製品を制作する過程に生じるギザギザのことで、工作などをしたときに、削り出したばかりの状態では縁がギザギザして危険なことがある。研磨をして、それをなめらかにするのがバリ取りだ。
 
言いたいことを言いたいように書いただけの段階では、自分の独りよがりな欲求を発散しただけにすぎず、読み手にそれが伝わるかどうかはわからない。自分の言いたいことをまず書き切ってしまってから、それが読者にどう伝わるかを考えながら、わかりやすく書き直していく。これが文章の推敲という作業だ。

ある意味では、文章を書くということは、工作に近い。文章は製品なのだ。

自分の文章の癖は自分が一番わかっているので、推敲の速度もはやい。だが他人の文章を直すのは難しい。

僕は小説の投稿サイトで、他人の作品を批評すると言うことをやったことがあるのだけれど、素人の小説というのは本当に読みづらい。なんとなく言いたいことはわかるのだが、情景が思い浮かばないし、スムーズに進んでいかないのだ。

もちろん僕の作品にもそういった部分はあるのだけれど、玉石混交のクオリティーである投稿サイトでそういったことをやるとまさに地獄だ。しかし、「バリ取り」の良い訓練にはなる。
 
僕の文章は読みやすいだろうか。そうであると嬉しいのだが。バリ取りだけは毎日やっているので、それなりに得意だと言う自負はある。過不足なく、読みやすい文章を目指して。バリ取り作業に精を出します。

推敲を面倒なものだと思わずに、ヤスリをかけるような気持ちで、ていねいに。

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。