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コロナ禍とはなんだったのか
今年も夏が近づいてきた。まだ「暑い」と思う日はさほどないけれど、それでもエアコンを入れなければ眠れない日がときどきある(たんに暑がりなのかもしれないが)。
考えてみれば、ここ数年は夏になるとマスクをするのがいやだな、と思ったものだけれど、今年に入って外出したときもマスクは数えるほどしかしていない。コロナ禍に大量に箱買いしたマスクは、たぶん10%も使われないまま、押し入れの中で眠っている。
コロナがはじまったときは、全国民が一生マスクをするのが当然の世の中になるんだろうなと思っていたのだけれど、別にそんなことはなかった。もちろん、マスクをしている人は増えたし、水面下では感染している人もたくさんいるはずだが、社会としてはコロナのパンデミックは完全に収束したし、基本的にはもうあの状況に戻ることもないのだろう。
ワクチン接種証明も、一時はよく提出したものだけれど、最近ではそういったものもなくなった。あくまで一時的なものだったらしい。
会社も、一年ほど前は基本的にはリモートワークオンリーだったのが、いまでは出社がメインとなり、在宅で仕事をするのは週に一度ぐらいの頻度になった。会社としてはリモートワークでもいいのだが、自主的に出社している。結局、出社したほうが仕事しやすい、という当たり前のことに気がついた次第である。
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またSNSなどで反ワクチンの人たちが少し盛り上がっているようだ。おそらくコロナが全く怖くなくなったので、陰謀論に結びつけやすいタイミングなのだろう。
しかし、コロナワクチンの開発速度はすさまじかった。mRNAワクチンを開発したビオンテック社も、一世を風靡したものの、最近ではもうあまり(世間一般では)名前を聞かなくなってしまった。しかし、この技術革新により、次のウィルスパンデミックが起きた時にも、迅速に対応できるのではないだろうか。
考えてみれば、コロナ禍というのは一種の戦争状態だったのではないか、と思う。平常時は世の中はあまり激しくは動かないが、戦争が起きると、世の中はめまぐるしく動く。
また平和な世の中になってきたと思うが、ある種の戦争状態を経験できた、というのは貴重な体験だったと思う。
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いまは世界的にインフレぎみだが、コロナ禍であれだけ経済刺激策としてジャブジャブお金を注ぎ込んだのだから、インフレになるのは当然のことだろう。インフレというのは、お金がたくさん注入されたことにより、お金の価値が希釈されているということだからだ。まあそれは自然の摂理。
つくづく、社会というのは生物の身体のようなものだなと思う。生物の身体も、血液が普通に循環しているうちはちゃんと機能するが、なんらかの原因で血が巡らなくなれば、壊死してしまう。
経済が停滞すると、血(=お金)がいかなくなったところが壊死(=倒産)してしまう。企業が倒産すると回復に時間がかかってしまうので、いっぱいお金を流し込んだのだ。いまはその後遺症のようなものだろう。
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コロナを経ていろいろと変わったことはあるけれど、一番はオンライン会議が当たり前になった、ということが大きい。取引先でもオンライン会議ができるところが増えたので、ずいぶん効率的になった。
逆に、「これから一生リモートワークしよう」と思って田舎に移住してしまった人なんかは、ちょっと生活スタイルを振り切りすぎて「出社しろ」という圧力を受けているのかもしれないが。どんなものでも揺り戻しがあるので、変化に対して対応しすぎるのも問題だな、と。
結局、コロナ禍とはなんだったのだろう? あなたはどう思いますか?
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