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自分の上司(または自分)は無能なのか?

noteのフォロワーさんの記事で、自分の会社の管理職が無能なのではないか? と書かれている記事を読んだ。

自分の上司は無能なのではないか、というのは会社員にとっては永久に付き纏う疑問だと思う。おそらく一生向き合うテーマなのではないだろうか。

そして当然ながら、一度自分が上司になったのなら、永遠に抱かれ続けるテーマでもある。逆に言うと、どれだけ偉くなっても、どれだけ自分に真っ向から反抗するものがいなくなっても、内心では部下から無能なのではないか? と常に疑われ続ける、ということである。自分がしたことは、いつかされてしまう立場になる、というわけだ。

では、無能の上司の逆、「理想の上司」というのはどういう存在なのかと考えてみる。例えばフィクションの登場人物で、上司にしたいキャラクター、などというテーマで人気投票的に開催されることがある。

検索したらすぐに出てきた。なんと1位は、漫画「進撃の巨人」のリヴァイ兵長とのことだ。

人類最強の兵士

同作品を知っている身としては、なかなか凄まじい感性だな、と驚く。もし進撃の巨人みたいな壮絶な世界に生まれてしまったら、確かにリヴァイ兵長は憧れかもしれないけれど、彼の部下はみんな死んでしまっているため、かなり過酷な職場であると言わざるを得ない。

理想の上司というのは「誰にとって理想か」という問題もある。僕は前の会社でマネージャーだったのだが、実際にマネージャーという立場になってよくわかったことは、マネジメントというのは「手段」であって「目的」ではないのだ。

マネージャーに期待されているのは、部下をマネジメントして気持ちよく働いてもらうことではなく、部門として数字をあげることである。極端な話、部下が全員辞めてしまっても、たった一人でその数字を達成できるのならば問題はない。もっとも、当然ながら目標は一人では達成できないものなので、自分のチームのメンバーをうまくマネジメントしていく必要があるのだ。 

全員がワークライフバランスを保った上で達成できる目標だったら良いのだが、馬車馬のように働かなければ達成できないような目標だった場合、部下を馬車馬のように働かせるのがマネージャーの仕事である。

そんな目標は達成できないと経営層に交渉するのも大変だし、部下がそれについてこれず、辞めていくのも、また大変である。自分がもっとうまくやっていればよかったのではないか? と振り返るのも、また大変なことである。平社員だったときとは比較にならないほどの心労を抱えることになる。

前述の進撃の巨人では、理想の上司の人気投票でナンバーワンらしいリヴァイ兵長のほか、主人公の所属する部隊の長であるエルヴィン団長という人物がいる。

この団長は、見た目には穏やかなのだが、目的を遂行するため、仲間や自分の死も全く厭わずに投入するというサイコパスじみた人物である。部下から悪魔などと呼ばれながら、とにかく任務の遂行に全力を挙げる。

さすがにこれを「理想の上司」と呼ぶのは憚られるが、「優秀な人物」としては作品でも屈指の人物である。

諫山創「進撃の巨人」(20)
諫山創「進撃の巨人」(20)
諫山創「進撃の巨人」(20)
諫山創「進撃の巨人」(20)
諫山創「進撃の巨人」(20)
諫山創「進撃の巨人」(20)

(壮絶な職場における管理職の姿)

人間一人が達成できることなど限られている。だから、組織というものがある。どんな組織でも、職位が上がっていくに従って、守備範囲はどんどん広がっていく。平社員からマネージャーになる段階で、マネジメント能力が問われることになるが、それは部下を気持ちよく働かせるのが目的ではなく、あくまで一人では達成できない目標を達成する手段のために、その能力を問われている。部下が気持ちよく働ける環境を作れるのならばなおいいが、前提としては「きちんと仕事をしてもらう」必要がある。

もちろん現代社会ではパワハラやサービス残業の強要などはもってのほかなので、マネジメント能力として高いものが以前よりも求められているのは間違いないだろう。正直、パワハラなどと言う言葉もなく、暴力でも何でも使って部下を働かせることができた昭和の時代の方がマネージャーとしては働きやすかったに違いない。もっとも、自分もさらにその上司からパワハラを喰らうことにはなるのだが……。

ちょっとしたサイコパスじゃないとマネージャーは務まらないとよく言われる。たまに、目標も全然達成できておらず、部下からもバカにされているのに、飄々としている部署長などもいるが、それぐらいの図太さがないとやっていけないのだろう。部下に嫌われることなど日常なので、そういったところでも図太さがないとやっていけないに違いない。

映画監督の宮崎駿が、はじめて映画監督をやったあと、もう監督はやりたくないと言ったらしい。理由は、「もう友達を失いたくない」からだそうだ。

もっとも、今にも潰れそうな会社よりは、きちんと利益が出ていて人員も潤沢な企業の方がマネジメントがやりやすいことは言うまでもない。つまり良い上司かどうかというのは、上司の人格や能力にも依るが、それよりもそもそもの会社の業績に依存するということになる。

会社員人生は短いようで結構長いので、儲かっている時は良いが、バブル崩壊やリーマンショック、いまのコロナ禍のような危機は何度かやってくる。社会的にみて、大きな危機は3〜4度は経験するのではないだろうか。

そのときは、マネジメントする側も、される側も、しんどいことは間違いないので、なんとか耐え忍ぶか、飄々と風に吹かれるしかないのだろう。

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