見出し画像

「超人」でなければ、見る価値はない

「メタルギアシリーズ」や「デス・ストランディング」などの作品で有名な、ゲームクリエイターの小島秀夫監督のゲーム制作ドキュメンタリーが好きで、ときどき見ている。

このドキュメンタリーは「METALGEAR SOLID4」のものだが、2008年に発表された作品なので、考えてみるとずいぶん昔だ。今は今で、また違ったものになっているだろうが、本質は変わらないはずだ。

こういった、作品制作の裏側のドキュメンタリーが好きで、アニメやゲームでもなんでもいいのだが、手当たり次第に探して見ている。

ゲームづくりの現場は、近年の大型タイトルの場合、100人を超えるスタッフ(しかも専門職集団)で作られるので、そのものづくりの光景はなかなか壮観である。

特にゲームはアニメや漫画などと違って、プレイヤーが直接キャラクターを操作するので、その挙動をプログラムによって制御することが必要となる。

要素を追加していくと、組み合わせの数が膨大になり、天文学的な可能性が生まれてしまうのだ。要素を追加すればするほどバグが発生しやすくなり、製品としての品質に影響を及ぼす。しかし、ユーザーからの期待値というものもあるため、「面白いゲーム」を提供するためには、面白いと思える要素は妥協なく追加していきたい。そこのせめぎ合いで、小島監督と、現場サイドでの壮絶なバトルがある。

クリエイターとしてのサガというか、面白いものを妥協なく注ぎ込みたい、という熱意もさることながら、安定した品質を提供できないかもしれない、という瀬戸際において、監督自身が「ものづくり」というものに対してどういう気持ちで取り組んでいるか、の部分が痺れた。

要素を追加していくと、品質に影響を及ぼす。しかも、その責任は「監督」である自分に降りかかるものなので、なるべくなら安定したものを予算内に、期限内に出したい。

そこで監督が言ったのは、「普通ではできないことをやるから、評価される」という言葉だった。なるほど。予算内に、期限内にものをつくることは大前提なのだが、無理してでもクオリティの高いものをつくるから評価されるのであって、そこは妥協してはならない、ということなのだ。

クリエイターとして飯を食べたり、何か芸事で身を立てよう、という人は、常にこの問題にぶち当たるのではないか、と思う。

わかりやすいものでいうと、アクロバットなどをする人がまさにそうである。普通の人が一生かけても到達しない領域のアクロバットができるからこそ、見る価値があるわけで、ちょっと努力したら到達できるラインのものが見世物になるわけがない。

最近、シルクドソレイユの団員の方がやっている「アクトレブログ」というYouTubeをよく見ているが、こんなことができる人間がいるのだから、たとえば逆上がりがちょっとできる、という程度のレベルのことは全く見世物にならない、ということを思うわけである。

「芸事で身を立てる」というのを志す人は多いが、並大抵のことではないな、と。それはもう、アクロバットに限らず、野球でも、将棋でも同じことである。

プロのレベルに立つということだけでも並大抵のことではないのに、本当にトップ中のトップ、藤井聡太や大谷翔平レベルになって、やっと「本当に見る価値がある」ということになるからだ。おそろしい世界である。

普通の人は、そういうアクロバットみたいなことは通常求められないので、なんだか遠い世界のような感じもする。普通の人は、普通のことが普通にできたらいい、という世界観で生きている。

要は、エンターテイメントの世界というのは、生活必需品ではないため、「普通のものを、普通に提供する」だけでは商品として成り立たないのだろう。芸事で身を立てる人は、「超人」であることが求められる。

憧れるのは簡単だが、とにかく厳しい世界だな、と。

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。