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「ある」ことで「ない」ことがわかる

音楽を聴きながら作業をすることがある。仕事のときでもそうだ。いわゆる「作業用BGM」というやつである。しかし、どういう選曲にするか、というのはとても奥が深く、いまだに正解がわからない。

一番多いのは、YouTubeなどで聞くことのできる、LOFIヒップホップなどである。これは、映像がそもそも「作業している人」だし、作業用として使っている人はかなり多いのではないだろうか。

音楽的には、特にこれといった起伏がなく、流し聞きできるのがよい。ほかにも、アンビエント系の音楽を聴くこともある。

確かにこれらは、作業用としてはかなり定番の部類といえるだろう。

よく、作業中の音楽としては「歌詞ありのものはダメ」と言われる。確かにそれはそうかもしれない。歌詞なんかあったら、集中できなくなってしまう。なのでインストが望ましい。

好きな音楽、自分の作業の性質に合った音楽だったらよりよいのかもしれないが、これはけっこう難易度が高いのではないだろうか。いまの自分の気分、いまの自分の作業に合った音楽がすぐに出せるのならいいが、何が合ってるだろうか、と探しているうちに結構な労力になってしまう。結局、正解を探り当てるのはかなり難しい、ということになる。

そもそも、好きな音楽でも、何度も聞くうちにだんだん飽きてしまう、ということもある。「好きな音楽」ほど定義があいまいなものもない。

そこで数年前から活用しているのが環境音というジャンルである。小川が流れる音、雨の音などが定番だ。

確かにこれはいい。特に雨の音は結構長いこと使っている。しかし、いつでも作業中は雨の中にいるようで、それはそれで支障があるような気が……。

街中の音を録ったものもある。これはこれで結構使える。

最近はノイズキャンセリングイヤホンを使っているので、これをオンにして「何も聞かない」という選択肢もある。いわば耳栓のようなものだが、これもなかなか悪くはない。

最近、究極の環境音を知った。「図書館の音」である。これは究極だ。衣擦れの音とか、ジッパーの音とか、本をめくる音などがときどき聞こえる。図書館特有の緊張感があり、自宅にいるのにこれを聞いていると、適度に緊張してくる。

いわゆる「静けさという音を聞く」状態なのだろう。静かであるがゆえに、空調の音も聞こえるし、人々の些細な音も聞くことができる。逆説的ではあるが、「(小さな音が)ある」ことで「(総量として)ない」ことがわかるのだ。

芭蕉の句で「古池や蛙飛び込む水の音」という名句があるが、この句の非凡なところは、「音がした」ということをもって「静けさ」を表現している、という点だろう。

小さな蛙が飛び込む音が響き渡るほど、そこは静まりかえっている、ということである。「静かだ」と書くよりも、静けさを感じることができる。


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