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進撃のオルタナ旧市街

友人のオルタナ旧市街さんが最近、躍進している。

ちょっと前に文学フリマで頒布した「一般」という本がいろんなところで紹介され、新聞の書評に載ったことなどがきっかけで、広く一般に知れ渡ったようだ(さすが、「一般」というタイトルだけはある)

さらに、1月号の「小説すばる」から声をかけられて、短編が掲載されているらしい。すごい出世である(まだ買ってないので、これから読みます)。



ネットからスタートして、フォロワーが増えていき、躍進していくケースはあるが、オルタナ旧市街さんの場合、ブレイクするきっかけが「紙の本(自費出版本)」であり、対面頒布イベントである「文学フリマ」からなので、直接的にはネットではないところが画期的である。

Twitterのフォロワーがものすごくたくさんいるわけでもないのに、そういった書評などを経由してブレイクしているので、「そういうルートもあるのか」と新鮮な驚きがある。

そういえば、同人誌のイベントなどに足を運んでも、「フォロワー数=人気」というわけでは必ずしもないんだな、ということを痛感する。たとえば、登録者が1万人前後の人でも、長蛇の列ができている人と、そうでもない人がいるのだ。



オルタナ旧市街さんはnote以前からの知り合いというか、そもそもnoteを勧めてくれた人である。もともとライブドアブログというところでブログを書いていたのだが、最近読者が減ってきた、と話題にしたら、「noteなんかいいんじゃないの」ということで教えてもらった。

ちなみに、それは3年ほど前のことなのだが、「じゃあ、とりあえずやってみるわ」ということで次の日に登録し、その日から今日まで一日も途切らせずに更新している。

なぜ評価されているのだろうか。たぶん、文体がユニークというか、あまり類がないからだと思う。エッセイなのか、フィクションなのか、その境目のような文章を書く。最近はTwitterで小説を書くのも流行っているが、紙で発表されながらも、なんかそういうものを感じる。味わいのある掌編というか。

いろんなところで「文章がいい」と褒められているので、それは率直に、うらやましいなと思う。というより、自分が「文章がいい」とほめられたことがほとんどないので、そうやって評価されるのはどういう感じなのだろう、と不思議なのである。

自分も小説を書いたりするのだが、褒められ方が違うので、たぶん違うタイプのスタイルなのだと思う。まあ、それはこのnoteも然りではあるのだが……。

漫画や音楽、小説でもなんでもいいのだが、別に意図しているわけではないのに、画風や作風など、アウトプットのスタイルが千差万別なのは面白いな、とあらためて思う。自分の得意な戦い方というか、自分に合ったアウトプットはあるのだが、別にそれは自分が苦労して選び取ったものではなく、自然にそうなったもののような気がしている。

創作活動を長く続けることは、「自分の得意な表現方法は何か?」というのを模索していく作業なのかもしれない。他人の真似というのは根源的にはできない、というのは興味深いことである。

友人が躍進していると素直にうれしいですね。これからの活躍も期待します。

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