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戦国時代と戦争とビジネスについて

年末に戦国武将を題材にしたランキングみたいなのをやっていたようで、僕はその番組をみてはいなかったのだけれど(というか、テレビそのものを一年ぐらいみていない)、友人からその模様を教えてもらった。この世界にはいろんなマニアックな武将がいるけれど、結局優勝したのはとても有名な武将(織田信長)だったと。なんやそれ、しょうもない番組だな、と思うけれど、楽しみにしている人がいるならば、まあ僕が口を出すようなことでもないか。

戦国時代というのは根強いマニアックなファン層がいる。その火付けの役割を担ったのが、ゲームの存在だと思う。戦国時代を題材にしたゲームは昔から人気があって、そこから派生して武将好きになっていく、という流れがあったのだろう。

自分がゲーム会社の企画者だと想定してみると、戦国時代というのは題材として扱いやすい。現実に過去にあった世界だから、資料が豊富に存在する点がまず、利点として挙げられる。ゼロから架空の戦国時代を創造するとなると、設定だけでも考えるのが一苦労だ。現実世界のものを題材にすれば、登場人物、すなわち戦国武将もたくさんいるから、いちいち名前とか設定を考える必要はない(ビジュアルは練り直す必要があるだろうが)。史実と違っても、「まあ、ゲームなんで」と逃げられる。
 
その他のメリットとしては、戦国時代は「現代とは地続きではない」という点が挙げられるだろう。たしかに日本の歴史ではあるし、京都では「先の戦争」といえば「応仁の乱」だというぐらいだから、重要な歴史には違いないのだが、現代社会と直接には接続していない。戦国時代のあとに江戸時代があって、明治時代があって、太平洋戦争を経て、現代がある。だから、誰を題材にしても、(比較的)軋轢が発生しにくい、ということがあるだろう。たとえば、現代の首脳を題材にしたゲームとか作ったら、それだけで国際問題になる(そういうのもあるにはあるようだが)。
 
考えてみれば、戦国時代というのは激しい時代であったとともに、それなりに牧歌的な時代だな、とも思う。戦国武将がいて、白兵戦で国取り合戦をする。太平洋戦争みたいに、何百万人という無辜の民が爆弾で殲滅させられるということもなく、戦線も日本国内の範囲に限定される。当時を生きていたら熾烈な時代だ、と感じると思うのだけれど、その後の近代戦の残虐さを思えば、けっこう牧歌的だな、と。

戦国時代みたいな、白兵戦の戦争の時代があり、太平洋戦争みたいな近代戦の時代があり、そして現代がある。現代でも、戦争は続いている。現代のビジネス環境というのは、単に大量に人が死なないというだけで、基本的には戦争の延長だよな、ということをたまに考える。領土を奪い合うような戦争はしていないけれど、資源、特にエネルギーを奪い合っている。エネルギーのある場所はいつも紛争地帯だし、政治や経済的にも混乱している。

国同士の総力戦ではなく、部分的な紛争、あるいは政治的・ビジネス的な取引。ある意味、スポーツ化、特化された戦争の形態とでもいうか。でも、こういう形に戦争の形態が変わること自体が、人類の成長なのかな、というような気もする。かえって人が表面的には大量死しないぶん、資本主義の暴走ともとれて、抑制が効いておらず、地球を破滅に導いている、ともみれるけれど。
 
武力、すなわち戦争でものごとを解決する時代が終わって、いまは資本主義とテロの時代だ。この次にはどういう時代がくるのだろうか?(執筆時間12分11秒)

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