見出し画像

触れられるのは「今、この瞬間」だけ

仏教の教えで、「今、その瞬間に集中せよ」というものがある、と聞いたことがある。「今に集中する」というのが、仏教の世界観では重要らしい。

「今に集中する」。これは、一般的な感覚としてはやや馴染みが薄い感覚かもしれない。「今を生きる」のではなく、将来的なことを考え、先々を見据えなさい、という教えのほうが一般的だからだ。

僕は日記を書く習慣がある。だが、書くばかりで、あまり読み返すことはない。ネットに公開するものと違い、個人的な日記は、この世界で自分しか読まないものだから、僕がそれを読み返さなければ、この世でその内容を知る者は一人もいないことになる。

たまに思い立って数年分を読み返したりすることはあるが、一年でだいたい普通の文庫本ぐらいの分量があるので、読み返すだけでも結構な労力になる。また、内容としても、過去の日常が描かれているだけで、特に面白いことも書かれていない。

利点としては、印象深いイベントの日付などを後から振り返ったりすることができる、ぐらいだろうか。そのごく一部だけは面白いが、9割はどうでもいい日常である。

だが、日記を読むことで発見があった。それは、自分が想像している以上に、自分の意識としては「今」という時間軸を生きていない、ということだ。常にちょっと過去のことを後悔し、ちょっと未来のことを心配している。

人は「今」を生きていない。「未来のことを考えよ」とよく言うが、人間の脳を支配しているのはほとんどが遠い未来ではなく、近い未来のことである。未来のことを考えているといっても、具体的な対策について考えたりするわけでもなく、ただ漠然と心配しているようなことも多い。

将来について何も考えていなさそうな人でも、たとえば今月をどう乗り切っていこうか、今夜の食事は何にするか、といった事柄は常に考えているだろう。「今、この瞬間」に集中している人はそこまで多くはないはずだ。

日記を読み返すと、時間的に離れた状態から過去の自分を俯瞰することができる。過去の自分は、常に数日先のことを心配しているのだが、そこで何が起きようと、そこまでたいしたことはないことを現在の自分は知っている。そもそも、未来の心配をいくらしたところで、未来が変わることはない。

「いつやるか? 今でしょ」という言葉が流行ったことがあるが、それが真実だろう。なぜなら、人間は過去にも未来にも干渉できず、干渉できるのは「今、この瞬間だけ」だからだ。

だから、今この瞬間に自分がやるべきことに最大限集中することがうまく生きるコツなのでは、と思う。「やらなきゃなぁ」と迷っている時間ほど無駄なものはない。

さあ、このブラウザを閉じて、いま自分がやるべきことをやりましょう。


サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。