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スキルを生かす必要はなし

前職のメンバーとオンラインで飲み会をした。飲み会というか、実はメンバーの送別会だったのだが、実質的にはただの飲み会だった。

一時、最初の緊急事態宣言が出たあたりでオンライン飲みというのが一瞬流行って、その後廃れたというふうに聞いたのだけれど、根強くやっている層はいるのではないかと思う。

少なくとも僕でいうと、仕事の会議はほぼ完全にオンライン会議なので、複数人でオンラインでワイワイ話をするということ自体はかなり慣れた。下手すると一日中オンライン会議をしている日もある。
 
前職の会社はかなり離職率の高い会社だったので、出ていく人も多ければ、入ってくる人も多かった。通過していく人の分だけ人生のエピソードがあるわけで、どういう経緯で入ってきたのか、どういうところに出ていこうとしているのか、話を聞いているだけでもなかなか面白い。

前職の仕事は海外とやり取りするのがメインの仕事だったので、英語が書けたり話せたりすることが条件だった。そういった条件を盛り込むと、それなりにやってくる人員も絞られてくる。

必然的に、前職で英語を使っていたとか、海外に留学していたとか、そういう人が応募してくることになる。
 
転職先も、基本的にはその会社でやっていた業務をアピールするわけだから、貿易会社とか、海外に販路のあるメーカーとか、そういうところが中心になる。

僕はというと、転職するにあたっては自分のスキルを活かしたい、とか、こういう職種に就きたい、といったこだわりはほとんどなく活動していたので、かなりドメスティック(国内)寄りの仕事に就くことになった。自分のことだったので、あまり気づかなかったのだけれど、結果としてキャリアとしてはやや特殊な感じになっていて、自分でも面白いと思う。

しかし、そのあとで、キャリアに関してドメスティック・グローバルということを考えること自体がナンセンスなのかもな、ということを考えていた。


 
僕は外国語大学を出ているので、当然ながら同級生は外国語に関心のある学生が多くて、就職先も「英語を使う」とか「フランス語を使う」とかを基準に選んでいる人が多かった。

しかし、僕はやはり就職においてもドメスティック寄りの会社に就職したのだけれど、結果としてそういう会社に行ったことによって、「あいつは英語ができるから」という理由で海外事業に抜擢されたりして、なかなか得難い経験をさせてもらった。

おそらく、「英語というスキルを生かす」という軸で考えて、英語のできる人ばかりいる会社に就職していたとしたら、その他大勢の中に埋もれてしまっただろう。

周囲と比較して、ちょっと特異なスキルがある、というのもひとつのアドバンテージになるのかな、ということを思ったのである。
 
それにいまの時代、直接的か間接的かの違いはあれ、海外に「接続」はしているわけだから、完全にドメスティックな仕事なんてないよな、ということを思う。

いまはドメスティックであっても、海外進出を検討している会社はいくらでもあることだろう。

そう思うと、自分がメインだと思っている能力の「外」に、本当の可能性というのは潜んでいるような気がする。


 
考えてみれば、海外に訴求する「日本の良さ」というのは、突き詰めれば鎖国をしていた江戸時代に形を成したわけで、「内向き志向」がかえって海外にウケる、というのは逆説的で面白いかもしれない。
 
いまは過去に培った経験やスキルはバラバラになっているけれど、そのうちこれらが接続されると面白いな、ということを考えている。

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