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「楽しんでいる奴が強い」ことの本質

よく、物事は「楽しむことが大事だ」と言われる。歯を食いしばりながら必死に頑張っている人よりも、楽しんでいるやつのほうが強い、という理屈である。

それはそのはずで、歯を食いしばっているやつが苦痛に思っていることを、楽しんでいるやつは苦労とは思っていないので、そちらのほうが強い、ということになる。苦労と思っていないので、いくらでも努力を重ねることができる。これについて、少し考えてみたい。

最近、ほぼ毎日、夜に三キロほど走っている。まだまだではあるが、少しずつ習慣になってきた。ストレッチ等も含めて所要時間は三十分ほどなので、毎日でもギリギリ続けられる習慣である。

毎日走っているので、だんだんとペースはあがってきている……のではなく、最近はむしろ逆に、最初の頃より少しペースが落ち着いている。しかし、ほぼ毎日同じペースで走り続けているので、リズムをつかんできたといえるだろうか。

最初の頃のほうがむしろペースとしては速かった。なぜだろうか? というのを考えていたのだが、おそらく、「早く走り終えたい」と思っていたからだろう、と思っている。走ること自体が苦痛なので、早くそれから解放されるために、速く走ろうと無意識にしてしまったのだろう。

もちろん、速く走ることは負荷をかけることになるので悪いことではないのだが、ちょっと負荷をかけすぎて、腰が痛くなってしまったので、そこまで負荷をかけないように、と注意している。

速く走って、この苦痛から早く解放されたい、と思うようではまだまだだな、ということを思ったのである。このペースで走るのが心地いいな、ぐらいに感じることができれば、わりと楽しく、長く走り続けられるのでは、と思っている。

そう意識しはじめてからは、走るのが気持ちよくなり、ストレス解消にもなっている。「楽しみ始める」領域が見えてきた、ということだろうか。

最近、将棋の調子がよくない。全然勝てない。今年の2月に3級になったのだが、そこから全然棋力が伸びていない。将棋ウォーズというアプリでネット将棋を指しているのだが、一応いまは3級ということになっているものの、成績を見ると3級以下である。

対局のとき、格上が出てくると勝てないと思ってしまい、格下に当たると、負けたらどうしよう、とつい思ってしまう。要は、負けたときのことばかり考えてしまい、あまり集中できていないのだろう。

負けたくないと思ってしまうので、早く対局を終えたい、逃げ切りたい、とつい考えてしまう。それが、いわゆる無理攻め(相手に正しく対応されるとうまくいかない攻め)につながっている。

早く勝ちたい、逃げ切りたい、ではなく、長くなってもいいからじっくりと、一手一手を考えて指すことが大事、ということである。当たり前のようだが、それが難しい。将棋を楽しむ心の余裕がもっと広がれば、その域に達することができるのだろう。

たかが趣味の将棋でそんなに真剣になることはないのでは、と思われるかもしれないが、将棋を通じてこれは自分の心を鍛えることにもつながると思っている。趣味から得られる物事の本質は、そういうところにあると思う。

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