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少しずつネジを締めていく

漫画家である荒木飛呂彦先生の作業風景を動画で見たことがある。荒木飛呂彦先生の代表作は「ジョジョの奇妙な冒険」という作品で、カルト的な人気を誇る作品だが、複雑な構図、凝ったポーズなどで有名な漫画だ。なので、どうやってその漫画を作画しているのか、というのは非常に興味があった。

だが、その作画風景は一般的な漫画の制作と全く変わらないものだった。まず青色の鉛筆をナイフで削り、人物のアタリをとる。そして下書き。Gペンなどでペン入れ。ペン入れが終わってから、ミリペンやさまざまなペンを使って、陰影を加えていく。その工程は、おそらくほかのどの漫画家でもやっていることだと思われる。

まずはぼんやりとしたところからイメージがスタートして、だんだん完成に近づいていく。当たり前だが最初からペンを直接入れるのではなく、だんだんと解像度をあげていくようなやり方になっているわけだ。逆にいうと、最後の時点まであらゆることを確定させない。あえてぼんやりとさせている。

このやり方だと工程数は多いのだが、リカバリーは結構しやすいのではないか、と思う。アタリをしっかりとってあれば下書きでのミスが減るし、下書きがちゃんとしていればペン入れも問題なく行える。

ただ、漫画を描く上での制約条件は、一話一話完結させて世に送り出さなければならない、という点にある。長期連載の漫画だとありがちなのだが、連載の最初と最後のほうで絵柄が変わってしまっていたり、ひどいのだと設定が変わってしまっているものもあったり。そういう意味では、連作短編のようなものだと思う。

そう思って自分のnote記事の書き方も振り返ってみると、この「ぼんやりとしたところからはじまって、だんだんクリアにしていく」というやり方を採用しているな、と思う。noteの書き初めは、いきなり本文から入るのではなく、まず考えていることをばーっと箇条書きにする。

最近はworkflowyというアウトライナーソフトを使って、箇条書きにしている(本当は、もっとインデントを活用するソフトなので、機能をフル活用できているとは言い難いが)。

本記事の下書き。後半部分は本記事のネタバレです。

この箇条書きの「下書き」は5分程度で書ける。これを見ながら本文を書く。そのときのコツは、書いた文章は一切読み返したり手直しせずに、最後まで一気に書くということだ。そして、いったん書きあげた文章はそのままnoteの下書きの中に入れておく。

だいたい常に7本ぐらい記事のストックがあるのだが、ストックはすべてこの状態である。毎朝、ストックの中から古い順で手直しをしていく。3回ぐらい手を入れて、タイトルを考え、画像を選んで投稿。毎朝これを繰り返している。

毎日更新はもう4年以上やっているのだが、このやり方が自分に合っていて、効率もいい。

最近、また小説を書き始めている。書き始めると昔は意識していたコツも思い出すことができて、結構新鮮だな、と思っている。

小説も、かつては何度も手直ししながら書き進めていたのだが、最近は「手直しせずに、最後まで書き上げる」のが一番効率がいい、と思っている。

最後まで書き上げてから、細部の修正をしていく。大事なことは最後まで書かないとわからないからだ。最初のほうに印象的なシーンがあったとして、どんなに思い入れをこめて書いたとしても、そのシーンの持つ意味合いは最後まで書かないと見えてこない。つまり、全体像がはっきりしないとわからないのだ。

いい物語というのは、細部が全体に作用するものだと思う。なので、まずは全体がないと、細部が見えてこないのだ。まずはぼんやりとしたところからスタートして、だんだん解像度をあげていく、という考え方である。

これは工作における「ネジ締め」に似ているな、と思う。何かものをつくる際、最初からギチギチにネジを締めてしまうと、バランスが崩れておかしくなってしまう。ネジは最初、全体を「仮締め」してから、あとで「本締め」をするものだ。

日本では「神は細部に宿る」という言葉があるので、細部にこだわりまくるのがいいんだ、という風潮もある。しかし本当に細部にこだわるのは全体が明らかになってからだ、と思う。ネジは最後にぎゅっと締めるのが一番いいのだ。そのほうがバランスよく、強度も上がる。

そういえば、仕事の進め方でも優秀な人というのはそういうふうに進めるものだな、と思った。パワーポイントなどの資料づくりにしてもそうである。まずはバーッとラフに全体を作ってから、細部に手を入れる。素人ほど、一枚一枚のスライドを完璧にしてから前に進もう、としてしまいがちだ。

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