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深淵に向かえば向かうほど

将棋ファンではない一般の人は知らないかもしれないが、将棋のタイトル戦のひとつである「棋聖戦」が開幕している。対局者は、藤井聡太棋聖と永瀬拓矢王座であり、藤井棋聖のタイトル防衛戦でもある。

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先日は、ほぼ一日かけて棋聖戦第二局を観戦していた。いまの時代は、タイトル戦などの対局はアベマで中継が見れるし、アプリなどでの棋戦速報が充実しているため、観戦の環境が整っているのがすごくありがたい。

「観る将」などの言葉もあるが、将棋はネットやAIとの相性もすごくいいので、若手のファン層の獲得に成功しているのではないか、と感じる。
 
藤井棋聖の強さはもはや一般常識となりつつあるので、あえて語る必要もないだろう。本棋戦において着目すべきは、やはり永瀬王座の強さだ。将棋を全く知らない人でも藤井聡太の名前は知っているだろうし、羽生善治、谷川浩司ぐらいの名前は知っていると思う。しかし、現在のレーティングで2位に位置する永瀬王座の凄さは、一般にはあまり知られていない。
 
将棋の棋士には、「将棋がなくても活躍しただろうな」というタイプと、「この人は将棋以外の人生はありえないだろうな」というタイプの二種類に分かれる。その分類でいうと、永瀬王座は後者に属する。「天才は生まれつきなので、自分は努力で天才に勝つ」と豪語する、努力の人である。
 
棋聖戦第一局は、将棋ファンを震撼させる出来事が起きた。将棋は、同一局面が三回現れると、それ以上対局が進まなくなるとの判断から、「千日手」といって引き分けになるルールがある。

一度千日手になると、先後を入れ替えて指し直しになる。「千日手」というのは結構珍しい状況なので、ほとんど千日手は指したことがない、というプロも多い。
 
そんな千日手だが、棋聖戦第一局では、なんと一日で二回も現れたのだ。千日手になると、指し直しとなるため体力を非常に消耗するのだが、それが二回も現れたとなると、とんでもないことである。

その千日手をも厭わない将棋で、長考派の藤井棋聖を時間攻めで追い込み、勝利をもぎとった。続く第二局は、持ち時間四時間の中で、藤井棋聖はお昼までに半分の二時間を使ってしまったが、永瀬はたったの8分しか使わずに有利に局面を進めた。

これが何を意味するかというと、永瀬は事前研究により、対局の流れをシミュレートしていた、ということだ。つまり、事前に局面を予想し、準備に準備を重ねていたのだ。最近の藤井聡太は時間切れが要因で負けてしまうことも多く、時間差がつくのはかなり不利に思われた。
 
しかし、後半になるにしたがい、藤井聡太が永瀬の攻めに的確に対応していき、だんだん永瀬の残り時間が少なくなっていった。最終的には、藤井棋聖は2分を残した状態で指し続け、永瀬王座は1分将棋に突入してしまう。

最後の最後で、藤井棋聖が放った罠によって、永瀬王座が破れた。まだ1勝ずつのタイなので、防衛に成功したわけではないけれど、こちらまで体力を消耗するような、見応えのある将棋だった。
 
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AIの登場によって、棋士たちのレベルがあがったのは間違いない。しかし一方で、「AIによって示された手を暗記するだけの暗記ゲー」になってしまうのでは、ということも懸念されていた。しかし、藤井対永瀬の対局を見ていると、そんなことは杞憂にすぎない、ということがよくわかった。
 
もし、藤井聡太がAIの指し示す最善手のみを指し続けるのであれば、僕でも勝つことができる。要するに、AIによって示された手を暗記すればいいからである。将棋は100手ちょっとで決着がつくので、すべて暗記するのはさほど難しいことではない。
 
しかし、現実には、藤井聡太といえどもAIと全く同じ手を指すわけではない。その事前予想から違った手が出ると、たちまち全く違う世界に突入してしまうので、研究から外れた瞬間、ゼロベースで手を読まなければならない。つまり、いまのプロはAIでの研究が前提にあるため、「AIを超えた手を指すこと」がトッププロには求められているのだ。
 
相手が研究をしていると知れば、あえてその研究を外す手を指す。罠も仕掛ける。そういう、非常にハイレベルな攻防が将棋のプロの世界では行われているのである。
 
僕のようなアマチュアが指す将棋でさえ、ソフトにかければ「最善手」がただちに導き出される。しかし、それは「アマチュアの局面」における「最善手」なので、正解がわかりやすく、とてもシンプルだ。

プロ同士の対局は、読み合いに読み合いを重ねているため、お互いに隙なんてほぼ全く無く、戦いは「水面下」で行われる。そういう局面では、「何が最善手か」というのは非常に曖昧になる。そして、そういった読み合いの果てに、盤面が極度に複雑化していく。

少し前に羽生善治が、「人間はまだ将棋というゲームの本質をあまり理解できていない」というようなことを語っていたことがあるのだが、発展すればするほど、深みが増していくゲームのような気がしている。

「自分が高度になれば、相手も高度になり、盤面の複雑性が増していく」世界なのである。なので、AIがどれだけ進歩しようとも、将棋というゲームにおける勝負の世界に終わりはない、と感じた。

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