見出し画像

怖いから、焦るのでは?

最近、趣味の将棋の調子があまりよろしくない。趣味でやってることなので、勝率なんてどうでもいいのだが、趣味とはいえ負けるとモチベーションが下がってしまう。簡単にいうと面白くない。

なので、どういうパターンで負けてるのか、というのを冷静に分析する必要があるな、と思った。

幸い、今は将棋ソフトが非常に発達しているので、指した将棋を読み込ませてAIに形勢を判定してもらうことができる。それを見れば、どの手が悪くてどの手が良かった、みたいなことを振り返ることができるわけだ。

日々ソフトにかけているため、すでにある傾向をつかんではいる。僕はどうも将棋においては、序盤から中盤ぐらいまではかなり得意なのだが、中盤の終わりから終盤の入り口あたりで間違えてしまうことが多いらしい。

最初は偶然かなと思っていたのだが、あんまりにもそういうことが続くため、多分いまの自分にとってはそこが課題なのだろうと思った。

将棋というのは逆転のゲームである。途中まで優勢だったとしても、最後の最後で間違えると負けてしまう。つくづく思うのだが、将棋の終盤では、「詰将棋」という名のパズルゲームが突然開催される。それまでは戦略ゲームだったのに、最後だけ急にパズルゲームになるのだ。そしてそれは負けてる方が強い方に出すパズルなのである。

中盤から終盤にかけては、当然ながら優勢なほうが勢いをつけて攻め込んで行く展開になる。しかし、そこで勝ちを急いで攻め間違えると、逆にあっという間にやられてしまう。つまり僕はこのパターンが多いのだ、ということになる。

ここでひとつ、なぜ自分は勝ちを急いで攻め込んでしまうのか、ということについて考えてみた。そうすると、あるひとつの仮説が出た。

つまり、将棋の指し手が読めず、怖いから、勝ちを急いでしまうのではないか、というのが今の仮説である。自分が優勢の状況において、このままうまく指せば勝ち切れそう……、そういう局面になったときこそ、足元をしっかりと固めて、隙を作らない姿勢が本来求められているのだろう。

リードを保ったまま、その勢いで攻め潰してしまおうと急ぐから、間違えてしまう。要は自爆というか、その辺のマインドセットが甘いということなのだろう。

ピンチはチャンスという言葉があるが、その逆もまた真なりで、「チャンスはピンチ」でもあるのである。チャンスと思って急いだ道が、実は断崖絶壁につながっていた、ということは往々にしてある。

これを少し深めて考えていくと、あらゆることにも適用できる。例えば人と会話するときのことを考えてみる。話すのが怖い人は沈黙が怖いので、とにかく隙間なくしゃべり続けてしまう。しかし本当に人と話すことに慣れていて、恐怖を感じないという人であれば、不必要に早く話したり、しゃべりづめになったりする事はないだろう。この辺に余裕が生まれるのだ。

余裕のない人に対して、余裕があるように振る舞うのはなかなか厳しい話ではあるが、「早く終わらせようと急がない」ことは教訓として捉えておきたい。

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。