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「ゆるく」集中する

「集中力」は現代人に欠かせないスキルだろう。これがないと勉強するのも、仕事するのも厳しい。

自分がどの程度集中しているのか、自覚できない仕組みは面白いなと思う。本当に集中しているときは、自分が集中していることを意識することはできないから、集中しているかどうかはわからない。集中していないときにはじめて、客観的に自分を見ることができるため、「自分は集中力がないなあ」と思うのである。

集中力がないときは、要するに暇なのだろう。30分後に重要な会議があるのに、資料がまだできてないみたいな状況だったら、集中せざるをえないというか、一分一秒でも惜しい感じになる。

危機的な状況なら誰でも集中できる。集中できな状況は、要するに「集中しなくてもいい状況だから」ということに尽きるのだろう。

しかし、強制的に集中せざるを得ない状況は問題ないとしても、勉強や仕事などで、自発的に「集中したい」と思うことはあるだろう。だからこそ、「集中力が欲しい」という欲求があるのだと思う。

最近は、「ゆるく集中する」というのを意識している。過度に集中すると疲れるし、長時間もたせることができないので、なるべく根詰めず、ダラッと集中する。シンプルに言うと、「最低でもサボらない」ことを自分に課す。うっかりサボりそうになったら、それを戒める。

「サボる」という概念もなかなか奥が深くて、たとえば仕事中にスマホゲームをしていたらあきらかに「サボり」だが、仕事関係のニュースをチェックする、という行為はサボりだろうか。

また、最近はteamsなどのチャットツールを使って仕事を進めているが、特に急ぎでもないチャットを常に気にしてしまう、というのも、集中していない証拠だと言える。確かにサボってはいないものの、本来やるべき仕事から目を逸らしていることは確かだ。

企画を考えるときなど、答えのないものを考える作業をしているときにこうなることが多い。要は、一種の現実逃避なのだろう。

最近、サボりそうになったら、それをカウントしておくようにしている。スマホをいじりたくなったら、そのときに数を数えておく。先日、オンラインの会議中にそれをやってみたのだが、一時間に6回、スマホをいじりそうになった。それだけ暇な会議だったのだろう。

でもおかげで、強制的に「サボり」を客観視することができ、自らのサボりを防ぐことができた。なかなか悪くない方法だと思う。

よっぽど時間に追われている状況でない限り、ゆっくりでも前に進めれば、それでいいと思う。だから、根詰めてやるというよりは、いまはゆるく集中しよう、と思うだけで、だいぶ楽になるのでは、と思う。

先日、ちょっといいアイマスクを買ったので、昼寝に利用している。耳栓と併用すると、10分ぐらいの睡眠でもものすごい効果があるので、在宅仕事時の昼休憩では愛用しているのだが、これを夜やろうとすると、夜中に違和感を感じて起きてしまう。

どうも、ひと晩じゅう音がない状況だと、身体が逆に異変を感じてしまうらしい。これも、「過度に集中して寝ている」ことの弊害だろうか。

いまどの程度集中すべきか、意識してコントロールできるようになるといろいろ捗るのでは、と思っている。

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