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朝の満員列車で人々が見ているものは……

最近は、以前と比べると比較的、通勤頻度があがった。特に明快な理由があるわけではなく、たんに涼しくなってきたからである。8月は地獄のような暑さだったので、外に出る気分ではなかった。

最近では、週に二度は会社に行くようにしている。以前は一か月に一度行くかどうかという感じだったので、それと比べると各段に進歩している。

当然ながら、出社すると、在宅では考えられないほどのたくさんの人々とすれ違うようになる。特に電車は満員なので、いろんな人を見かけることができる。

先日、朝の電車内で視界に入ったのが、とある問題で話題になっている某男性アイドルグループの動画を見ているOL風の女性だった。そういったチャンネルはどういう人が見ているのか知らなかったのだが、当たり前だが普通のその辺の人が見てるんだな、と逆に新鮮な気持ちになった。

朝、こうやって通勤時間にアイドルの出ている動画を見て、元気をもらうというルーティンが確立されているのだろう。と思ったら、そのさらに隣にも、いま流行っているアイドルをテーマにしたアニメを見ているおじさんがいた。

この朝の電車という乗り物はアイドル好きばっかりが乗っているのか、それともたまたまなのか、ちょっと判別がつかなかった。

そもそも、日本人はアイドル好きな人が多いような気がしている。いや、そもそも、「日本的なアイドル」って日本にしか存在しないのではないだろうか。日本のアイドルグループに該当するような海外のアーティストはちょっと思いつかない。

たとえば「男性歌手グループ」として、バックストリートボーイズなどがいたりするのだが、あくまで音楽が主体であり、ちょっとアイドルとは違うような気もする。U2やオアシスなどのバンドの「熱狂的なおっかけ」はたくさんいるが、それはアイドル好きというよりは単にバンドのファンというだけだろう。

女性アーティストは、日本的なアイドルではなく、もっと「自立した感じ」を出しているパワフルな感じの人が多い。

そもそも、アイドルにハマる日本人の特徴として、アメリカ人が音楽グループに入れ込むのとはまた違った熱意を感じる。なんというか、入れ込み方が尋常じゃないというか、単に音楽のファンというレベルではなく、「生きる糧」「生きがい」みたいになっているところがある。

アイドルにハマる人々が、自分たちのことを「信者」などと呼称したりするが、実際に宗教じみたものを感じる。そういう意味では、世界ではキリスト教やイスラム教を信仰している人が多いので、その信仰が抑止力となり、アイドルみたいなものにハマらないのだろうか。

逆に、日本では宗教に対するイメージが非常に悪く、キリスト教などの世界宗教があまり一般的ではないので、精神的に依存する先を探してそういったものに依存してしまう、というのはあるかもしれない。

以前、日本人がアイドル好きなのは好きなアイドルを「推す」ことが自分の自己表現につながるからでは、といったことを書いたことがある。芥川賞をとった作品「推し、燃ゆ」を読んだ際の感想としてである。

しかし、よくよく考えてみると、何かを推すことで得られる自己表現なんてたかが知れている。それよりはむしろ、やはり宗教的な意味合いで、自分の時間や財産などのリソースを特定のものに捧げるという行為自体が何か宗教的な体験を生むんじゃないか、というような気がしている。

自分にはあまりない感覚なので、それも推測でしかないのだが……。

いつ、どんな世界でも宗教に深く傾倒する人々は、精神的に弱っている人々である。アイドル好きが増えれば増えるほど、病んでいる日本人が多いのか、と思ってしまう。

朝の満員列車の中というのは、そういったものを摂取しないとやってられないほど、精神的に圧迫される状況なのだろうか。


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