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「高級ブランドが着たい」男と女を少し突っ込んで考えてみる

男性と女性では知能に差はないが、個々人でみると男性のほうが女性よりも個人の知能のばらつきが大きい、という研究がある。男性は低いほうにも高いほうにも広範囲にばらつくが、女性はわりと平均的なところに集まる傾向にある、と。

本当かどうかはわからないが、なんとなくこれは実感に当てはまる。たとえば学校の勉強では、男女の性差はほぼ感じられない。むしろ女子のほうが勉強が「できる」子が多い気がする。が、男子は全く勉強できない子がいる一方で、とんでもなく勉強ができる子もいる。ばらつきが大きいのだ。

これは生物的な特徴なのかもしれないし、ジェンダー教育によるものなのかもしれない。一般常識として、女性にとっては「人並み」にできるようになることはいいことだと教えられる。一方、男性は「平凡」になるな、と教えられる。価値観の刷り込み方の根本が違うように思う。

男子の場合、絶望的に勉強ができなくてもスポーツができればいいんだ、など、「できないこと」に対しても開き直る人が一定数いるのだろう。

最近だとジェンダー的な部分はセンシティブなので、あまり深く突っ込みすぎると面倒なのだが……。

あくまで個人の感想ではあるが、女性アスリートやビジネスで活躍した人は最終的には「普通の幸せ」みたいなものを追い求める傾向にあるな、と思う。大昔だが、キャンディーズが解散するときに「普通の女の子に戻りたいんです」と言ったのは有名な話である。

男性の場合は、「幸せ」というのはほぼイコールで「大成功」を意味し、平凡なところに落ち着かない、尋常ならざる領域に行った人が素晴らしいんだ、という価値観が主流だ。

養老孟司が、偏差値70を超えるというのはほんらい異常なことなのだ、と言っていた。確かにそうだ。血圧が300も400もあったら死んじゃうでしょう、と。しかし学業の世界では偏差値は高ければ高いほどいいし、スポーツの世界では身体能力が異常な人をもてはやす。

もともとは身体的な数値が平均的な数値に落ち着かないと、すなわち「病気」ということになる。しかしアスリートや天才を病気と表現する人はいない。

少し角度を変えて、ファッションの視点でものを考えてみる。僕はファッションに本当に興味がなく、全部ユニクロでいいと思っている(実際、持ってる服のほとんどはユニクロかザラ)。服に求めている価値は「機能」だけで、そのほかはどうでもいい、と思っている。

高級ブランドを欲しがり、それを身につける人の心理はよくわからないのだが、わからないなりに理解したいと思っている。先ほどの「女性は平均を目指す」という価値観から考えてみる。

よくドラマなどで目にする「女性の人間関係」の場合、集団から極端に外れた服装をしていると目立つのだろう。周りがそれなりの値段のブランドを身につけているのに、自分だけユニクロを着ていると集団で浮いてしまう、というのはあるかもしれない。

一方で、集団内では「周囲よりもちょっとよいものを着て、マウントをとりたい」と考える人がいるので、「平均値」はどんどん引き上げられていく。つまり、女性集団のファッションはインフレしていく傾向にあるのではないか。これが女性は高級ファッションを身につけたがることに対する自分の仮説である。

男性の場合はもっとわかりやすく、高級ブランドを「相手を威圧するため」に着ているのだろう。普通の人には買えない服を身につけることで、「こいつ、ただものじゃないぞ」という印象を与える効果を期待するわけである。起業家や詐欺師などがよく使う手だ。

個人的には相手がどんな服を着ていても、金銭感覚が合わないなと思うだけなのだが、被服の歴史について調べてみると、むしろ高級ブランドに身を包みたいと考える価値観のほうが真っ当な感じもする。

歴史的には、衣服は所属組織を表明したり、身分を証明するために使われていた。高級な衣服は、文字通り「庶民は絶対に着ることができなかった」ので、価値はあったのだ。

その意味では、たとえば超エリートしか着れない制服みたいなものがあれば「それを着たい」と思ったとしても自然だが、現代では高級ブランドの服はほとんどが金さえあれば買える。しかも、たいていのものは金を貯めれば庶民でも買える。たとえ100万円のスーツだったとしても、少し金を貯めれば買えるだろう。もちろん僕も買おうと思えば買える。だが、それに価値を感じないので買わないだけだ。

さすがに、1000万円の腕時計などになると手が届かないが……。それでも、そういったものが存在し、買う人がいるので、この手の価値観は生きているともいえる。

現代では、身分を示すのにファッションはあまり適していない。たとえ穴のあいたジーンズを履いている人が街を歩いていたとしても、あの人は貧乏だからジーンズを買い換えるお金もないんだな、とは誰も思わない。ビルゲイツはそのへんで買えるセーターを着て、1万円ぐらいの時計をしているが、ファッションにたいした価値を求めていないのだろう。もちろん、あまりに激安の衣服は品質が良くないので、ちゃんとしたブランドのものだとは思うのだが。

尊敬を集める指標が服以外にたくさんある、というのが現代社会かもしれない。それはSNSのフォロワーかもしれないし、何か具体的な功績だったりするかもしれない。

男性は本能的に「集団から逸脱した存在になろう」とするからそういう指標を求めるのだろう。実際のところは、大抵の人は平凡だし、これからも平凡なので、平凡に生きればいいだけだと思うのだが。もっとも、それも女性社会に見られるように、ゆっくりとインフレしていくものなのだろうか。

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