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対話をすっ飛ばして「行動」しない

最近、あらためて人と対話すること、人にちゃんとものを伝える、ということについて考えたので、少しそれについて書いてみたい。

日常生活のなかで、コミュニケーションの断絶はしょっちゅう発生する。人間的に信頼関係が十分ある人との間では、思ったことは何でも気兼ねなく伝え合うことができるのだけれど、問題はそういう信頼関係がない人間の場合である。

まだその関係性が作れていない場合は、これから少しずつ作っていけばいいのだけれど、信頼関係を「失ってしまった人」に対して、「あの人にはこんなこと言っても意味ないから」みたいな形で、最初から対話を試みようとしないケースが多いな、と思ったのである。

もちろん、ケースバイケースでそこに至るまでの経緯があるから何とも言えないのだけれど、伝えること、対応する姿勢を止めてしまうっていうのはあまり良くないことだなあ、と最近は思っている。相手が感情的になったり、暴力で訴えてくるようなパターンの場合、無理に対話を避けるという選択肢もあるとは思うのだけれど。

これは個人的な反省ではあるのだが、対話をしたくない相手の場合、十分なコミュニケーションをとらずに「いきなり実力行使」みたいな行動に至るケースが多い。例えば相手から嫌なことをされた場合、「それは嫌だ」と相手に伝えることなく、勝手に絶縁をしてしまうとか(仕事だとそうもいかないが)。

その根本にあるのは「面倒くさい」という感情だ(面倒くさいから、コミュニケーションをとりたくないとも言えるのだが)。単純に、めんどくさい相手とコミュニケーションをとるのはストレスがたまるし、カロリーも使うものだ。

ネガティブなことを伝えることによって伝えられる側に痛みはもちろんあるが、伝える方にだって痛みがあるのだ。しかし、だからといってそれを避けると、さらに事態は悪化するような気がしている。

行政からの通達などをみてもわかる。例えば法律に従わなかったり、社会のルールからはみ出た行動をとったとき、「こいつには何を言っても意味がないから」みたいな形で通知もなく、いきなり処罰されたりはしない。通常の場合最初に何らかの警告があり、それに応じない場合、実力行使として処罰される。

行政のやり方ではあるが、それが正しい形なのだと思う。通達をせずにいきなり実力行使に出てはいけない。ちゃんと通達・警告をして、議論を尽くしたうえで、最終手段として行動に出る、という順番が正しい。途中をすっ飛ばしてはいけない。

「これだけ対話をしたのに、相手は応じなかった」というのも実績になる。相手が頑なに応じない場合、どういう対話をしたのかを記録に取っておくことも重要だろう。

嫌なことを通告するだけではない。仕事の上でも、何か新しいことを交渉する際、まず無茶だとわかっていてもお願いをしてみる、というのは非常に有効だったりする。

交渉術のテクニックはいろいろあるが、相手の心理状態がどうであれ、結局お願いしたい内容は変わらないのだから、とにかくストレートに言ってみるのがシンプルだが一番有効だ。

あまりにも突拍子もないことを言って、「はぁ?」みたいな反応されると辛いのだが、それでもまずは伝えられたことで、物事は前に前進する。こちらの希望が100%叶えられなくても、何らかの建築的な提案が出てきたり、思ってもみなかった方向に話が進んだりして、何かしらの展開を得られるものだ。

「コミュニケーション力」の本質とは、「話がしにくい相手・通じにくい相手に対しても、粘り強く対話を続ける能力」なのかもしれない。

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