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久々に、特に書くことがない

noteで文章を書き始めて、もう連続で1300日を超えるのだけれど、久々にあんまり書くことがない。わりと珍しいことなのだが、なぜだろうか、と思っている。

基本的に、僕は書いてからすぐに投稿するのではなく、記事を常にストックしている。常時、だいたい3〜4本の記事のストックがあるので、それを順番に出している。だが、最近は仕事が忙しすぎるせいで、ついにストックが枯渇してしまった。

僕がnoteに書いている内容は、抽象的な内容が多い。実生活を送るうえで、あまりにも具体的なものは避け、生きていく中で、自分の存在をメタ的に認知したり、事象を俯瞰したりして書いている。つまり、「考えたこと」が内容の基本になる。

「書くことがない」というのは、要するに「何も考えていない」ということである。日々の仕事に忙殺されて、抽象的なことを考える余裕もないのだろう。これはあんまりいい状況ではない。



毎日更新をするということは、要するに毎日締め切りがある、ということである。締め切りがあるほうが創作意欲がわく人と、締め切りがないほうが創作意欲が湧く人、世の中にはいろいろなタイプがいる。

連続でnoteを更新しつづけている人の中には、ストックを作らず、更新時間も不定期で、夜の23時とかになってから書き始める人もいるらしい。

しかし、僕は抽象的なことをメインに書いているので、締め切りがある状態だと、なかなか書きにくい、ということがある。あと一時間で抽象的なことを考えてください、と言われても、なかなかそんなことはできないだろう。

上述の通り、抽象的なことを考えるためには締め切りはないほうがいいのだが、締め切りが全くないと書くモチベーションにならない。そのちょうどいいバランスが、「ストック3〜4本」の状態なのかもしれない。

なので、少なくともnoteの更新においては、ある程度の余裕をもってやっていく、というのが性に合っているようである。最近また再開したラジオも、普通に毎週録っているのだが、ストックがないのはイヤなので、録ってから一週間後に出す、というのを繰り返している。

そうすると、ちょっとラグが生じるので不便ではあるのだが、それが自分のスタイルなんだな、と思っている。

上記の理由で、どうもストックがあることによって、書きたいことが出てくる仕組みのようだ。ストックがないと、逆に何も考えられなくなる。ストックがある、という余裕が、新しい発想を産むのだろうか。

これは想像でしかないのだが、仮にnoteを書くことが仕事だったとする。これが専業だとしたら時間やリソースも潤沢に割けるのでよさそうに思えるが、普通に仕事をしながらやっていくこのコンディションが一番いいな、ということを思っている。

それも、普通に仕事をしている、というのが余裕に繋がっているからだろうか。専業だと、肩に力が入ってしまうかもしれない。

1000日以上、毎日ブログを書き続けて、どういったことが得られたのだろうか。ブログを書き続けると、文章力がつくというが、それはどうかな? と正直思っている。

仕事で資料などを作ることはあるものの、あんまりここで培った文章力が生きている感じはしない。抽象的なことばかり書いているので、抽象的なことを考える力はついたような気がする。まあ、多くを望まず、それが得られただけでも儲けものである。

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