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「念力」で「結果」をコントロールしようとしてませんか?

仕事などをしていて、精神的にしんどくなることはもちろんある。自分もそうだし、周囲の人間がつらそうだ、と感じることもある。

最近、「つらくなるのは、 自分でコントロールできないことで悩むから」ではないかと思った。少しそれについて考えてみる。

僕はそれなりに仕事は楽しんでやるタイプなのだが、当然ながら遊びではないので結果を求められる。結果を求められると、それを達成できないことは多々あるので、深く考えるとしんどくなってくる。

逆に言うと、結果さえ気にしなければ仕事そのものはあまりしんどくはない。結果を気にしないのが仕事を楽しむコツだともいえる。しかし、仕事である以上、結果を出さなければならないので、気にせざるをえない、という事情がある。

ここに、ひとつ重要なトリックが隠されている。すなわち、「結果は自分次第でコントロールできるはず」という思い込みがあるのだ。だからこそ、結果が思い通りにならないときに悩むことになる。果たして、「結果」というのは自分でコントロールできるものなのだろうか?

明日、デートやスポーツの試合などがあり、どうしても晴れてほしい、という状況があったとする。しかし、ヒトは神ではないのだから、雨になる運命を覆して晴れにすることは不可能である。

せめてものあがきとして、てるてる坊主を作ることぐらいはできるかもしれないが、効果はさほど期待できない。その代わり、明日が雨になったことは誰の責任でもないので、誰も責めてくることはない。

一方、たとえば営業職で、月に5本の契約をとってこなければならない、という状況があったとする。これは、ノルマとして設定されている以上、頑張って達成しなければならない。

しかし、契約を承諾するのはあくまでお客であって、こちらではない。たまたまお客があまのじゃくばかりで、どれだけやっても1本も契約がとれないかもしれない。もちろん営業トークやテクニックを駆使して成功率をあげることはできるが、そもそも誰も買わないようなモノだったら最初から売れないし、誰も買うようなものであれば技術は必要ない。

つまり、「月に5本契約をとること」と「明日を晴れにすること」は本質的には似ている。その結果に対して、本当に自分自身が干渉できるのか? ということだ。望む結果を得るために、自分が干渉できるのはどういうことなのか? を見極めることが大事なのだ。

5人にアプローチして、5本の契約をとるのは、非常に確率の低いことである。この状況で、成功を夢見るのは、てるてる坊主を作るような行為に似ている。

5本の契約をとるには、例えば50人ぐらいにアプローチしてみたりすることが考えられる。こうすると、10人に1人が承諾してくれれば達成できるので、いける確率は高まる。

考えてみればごく当然のことなのだが、精神的に苦しくなるのは、5人にしかアプローチしていないのに、5本の契約を取ろうとしているからではないか、と立ち止まることが必要だ。

自分のコントロールが及ばないものに対して、念力みたいな方法でコントロールしようとするから、苦しくなるのである。ヒットを増やしたければ、打席を増やすか、打率をあげるかしかない。これは非常に物事を単純化しているので小学生でもわかるが、「つらくなったとき」に、これを思い出してみることは大切だと思う。

明日が雨なら、予定をずらすとか、雨でも大丈夫なように工夫するとか、やりようはいくらでもある。雨という事実を受け入れられずに、てるてる坊主を作って祈ったりしていると、だんだんと精神的につらくなってくるだろう。

コントロールできないものは諦めて、コントロールできるものに注力する。突き詰めれば、「やれることをやる」、これに尽きるのではないかと思う。結果は天のみぞが知る。

これは対人でもそうで、「嫌なやつ」を「良いやつ」に変えることは決してできない。「嫌なやつ」は「嫌なやつ」として、そこに存在することを受け入れたうえで、何ができるか、ということを考えなければならない。

そう考えていくと、対策も具体的になっていくのではないだろうか。

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