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だまされた!

最近、マジック系のYouTubeをたまに見ている。

動画は前半と後半の二部構成で、最初にマジックのネタを披露する。そのあとですぐに「種明かし」をする構成になっていて、その通りにやれば実際に真似をすることもできる。

僕は真似してやってみたことはないのだけれど、大道具は使わず、手軽に手に入るものばかりを使用しているようだし、ちょっと込み入ったマジック用具であればAmazonなどで買えるリンクなども貼られているため、手軽に購入できるようになっている。なかなか親切な手品師である。

昔、手品師のMr.マリックが手品の種明かしをしている動画を見たことがあるのだが、わりと衝撃的だった。自分の手品のネタを明かしてもいいのか、と。しかし、上記はそれをひとつのスタイルとして延々とやっているYouTuberなので、それ以上にすごい。

Mr.マリックの種明かしもけっこう大胆に企業秘密を明かすんだなと思ったものだけれど、どんどん公開しても問題ないような「創造性」というか、アイデアを出し続ける頭脳がないと、プロとして食べていくことはできないのかもしれない。

どれも、見抜くことは相当難しいというか、全然できないのだが、種そのものはシンプルなものが多い。シンプルな種ほど見抜けない、というわけでもなく、それなりに込み入ったものでも全然見抜けない。つまり、純粋にわからない。ましてや、初見で見抜くことなどは到底できない。

なぜ見抜けないのか? ということを少し考えてみた。簡単にいうと、マジックというのは受け手側は「何をやるのか事前にはわからない」というのがあるだろう。脱出マジックなど、予告をするようなタイプのものもあるが、基本的にはこれから何が起こるのかはわからない。

何かが「起きた」と思ったときには、すでに仕掛けの中ではすべてが終わっている。なんなら、マジックが始まる前に仕込みは終わっているのだ。何が起きるのか事前にはわからず、何かが「起きた」ときにはすべてが終わっていて、「起きる」ときも視線誘導だったり思い込みだったりをうまく使われる。「煙につつまれる」のがマジックの醍醐味なのだろう。

まあ、動画で何度もリプレイしたとしても、見抜けないものは見抜けないのだけれど……。現実世界でも、何かに「ハメられるとき」というのはだいたいこんな感じである。周到に準備され、誘導され、気づいたら終わっている。テロリストなどにやられる警備員なども、自分が警備員だとしたら、何がなんだかわからないまま死んでいくのだろう。

ひとつ思ったのは、テレビなどではマジックは定期的にブームになる。定期的にブームになるということは、定期的にブームが下火になる、ということだ。もちろん、一般には見えにくいところで宴会芸的な感じで細々とやっているのかもしれないけれど、あんまり持続的な人気というのはないような感じである。いまはテレビでマジックってやってるのだろうか。

マジックというのは騙されるのが本質だから、確かに見事に騙されると気持ちがいいものの、そんなに毎度毎度騙されると面白くなくなったりして。マジシャンは、マジックを考えると同時に、「どうやったら観客が楽しめるのか?」も考える必要があるのだろう。

種明かしをするのがなんだかんだ一番盛り上がるような気がするが、それこそ「だまされた!」という気持ちになるからだろうか。「種明かしをする」のも、ひとつのスタイルとしては確かに有効なのかもしれない。

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