本当に音楽を「聴いて」いますか?

ちょっと前の記事でも書いたのだが、また音楽を少しずつ聴き始めた。以前は片道二時間近くの通学時間ではずっと音楽を聴いていたので、音楽をそれなりに聴いていたこともあり、音楽のクリエイティブに費やすことがそれなりにできていたのだが、最近はめっきり音楽を聴く機会が減ってしまい、それが創作意欲を削ぐ結果になっているのでは、という仮説があったからだ。

こう思ったときに、サブスクサービス全盛のこの時代に生まれてよかったな、と思う。いまでは、音楽は(ほぼ)タダで聴き放題で、しかも聴き尽くすといったことがない。しかし、こういう環境では、音楽で商売をしている人は大変だろうな、とも思う。

しかし、「音楽を聴く」と一口にいっても、世の中には本当にいろんな音楽があるな、と思う。しかし、その中でも「作業中に音楽を聴く」というのが、なんだかんだいって一番世の中としては需要があるのではないだろうか。

僕も、いまは基本的に在宅勤務なので、仕事中はイヤホンでずっと音楽を聞いている。これはspotifyなどのサービスではなく、YouTubeの動画などで「作業のために作られた音楽」を聞いている。

ちょっと前までは、Lofi hiphopというジャンルで、ちょっとゆったりした音楽を聴くことが多かったのだが、最近はプログラマの人たちがプログラミング中に聞くことを前提とした音楽を聴くことが多い。

どういうジャンルの音楽なのかよくわからないのだが、まあ結構いい。作業の邪魔にならないが、それなりに高揚するように作られており、こういった音楽は本当に実用性が高い。

こういった音楽は、ゲームの音楽の発想に近いかもしれない。要するに、「邪魔しない音」を前提に作られているのだ。昔、ファミコンの音楽の時代は、ピコピコとした音しか出すことができなかったので、わりとメロディがはっきりした楽曲が多かった。ゲーム画面も情報量が少なかったので、その少ない情報量を音楽で補っていた、ともいえるだろう。

しかし、最近のゲームは映像だけでものすごく情報量が多いので、メロディラインがハッキリしている音楽だと、逆にうるさくなりすぎてしまう、という弊害がある。ゲームクリエイターの桜井政博の動画で、そのあたりの部分が解説されているものがある。

これだけの違いが生じているのである。

実際のところ、自分の生活において、どういう音楽が必要なのか? というと、こういった「作業中に聞く音楽」だけである。しかし、これは「本当に音楽を聞いている」と言えるのだろうか? という疑問は残る。

90年代、みんな安室奈美恵や、Mr.Childrenなどの音楽を聴いていたはずだが、いったいどういうシチュエーションで、どういう需要を埋めるためにそういった音楽を聴いていたのだろうか……。何か仕事をしながら聴いていたのだとしたら、うるさくて仕方がない。考えてみると、不思議なことである。

新しい音楽を聴くのは、主として若い人たちである。若い人たちは、文化的な部分を受け取るために音楽を聞いているように思う。つまり、自分たちの文化の象徴として音楽を聞いているのだ。ヒット曲というのは、そのときの若者たちの内なる声を代弁したものともとれないだろうか。

まあ、「音楽を聴く」ことが目的となるような音楽を書きたい、というのも同時に思うのである。たとえば、昔からずっと好きなアーティストに高木正勝という人がいるが、ただのピアノの音にこれだけの情緒をもたせ、「ピアノを聴く」というところに神経を持っていかれるのはすごいな、と思うのである。

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