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記憶と、断捨離と

少し部屋を整理していたらいろいろなものが出てきた。東京に引っ越してきて、まる3年が過ぎた。考えてみれば、就職してから同じところに2年以上住んだことがない。

感覚としてはそんなに長い感じはしないのだが、20代後半から顕著になった時間の加速によって、時間感覚がズレてきてるといってもいい。まだ住み始めて半年ぐらいだと言っても、あまり違和感は無い。
 
例えば、僕の部屋にはベッドがない。床に断熱のマットを敷いて、その上に低反発のマットを置き、その上に敷布団と毛布があるだけだ。ベッドを買わなくては、と思っていて、仮の寝床のつもりだったのだが、結局仮の寝床のまま3年が過ぎてしまった。なぜベッドを買わなかったのかというと答えは明白で、引っ越しするとき、解体や運搬が面倒だからだ。
 
実は最初の一人暮らしの時に買ったベッドが解体されて、三重県の自宅のガレージの奥に眠っている。それを持ってくるとか持ってこないとかをうだうだやってるうちに、必要性がなくなって、今に至ってしまった。しかし僕は全くこれで問題がなく、睡眠の質はかなり良い方だと思う。むしろホテルに泊まって柔らかいマットになるとうまく眠れないほどだ。
 
以前住んでいた部屋はレオパレスだったのだが、木枠のベッドの上に今と同じものを載せていたから、硬さとしては全く同じということになる。実家の部屋は和室だったのだが、感覚としてはそれに近い。まぁそれはともかく。

3年も住むと、部屋にはいろんなものがある。引っ越しを何回もしているので、大きなものを買わないというのが習慣になった。

僕が持ってる大きな家具はダイニングテーブルしかない。一人暮らしだが、パソコンやら何やら置いて作業するので大きなダイニングテーブルが必要だったのだ。そのダイニングテーブルも、解体すれば乗用車で運ぶことができる。

冷蔵庫や洗濯機などはレンタルサービスを利用していて、これは電話1本で引き取ってもらうことができる。感覚としては、プレハブに住んでるような感じだ。いつでも必要なときに引き払うことができる。
 
部屋にあるもので一番厄介なのは、取引先からもらったものなどだ。日本の取引先ではあまりものをもらう事はないが、外国の取引先とは会ったときに結構いろんな置物とかをもらう。

もちろん嬉しいのだが、これがなかなか邪魔だ。申し訳ないと思いつつ、古いものはいくつか処分した。こういったものは放っておくといつまでも澱となって部屋の中に滞留してしまう。

昔の事はどんどん忘れていってしまう。おそらく他の人もそうだと思うのだけれど。この脳の記憶と言う仕組みは本当によくできている。必要のないものはどんどん忘れる。

一時期、断捨離という言葉が流行ったけれど、みんな、いろんなものを捨てなければならないタイミングがあるのだろう。ものは忘れてしまっても、部屋の中に残っていることがある。物には思い出や人の思いが取り付いていて、何かを捨てたり売ったりするときには、その思いが障害となることがある。

だから、部屋を片付けたりものを処分したりするとひどく疲れる。こうやって疲れてしまうぐらいなら、最初から何も買わない方が良いのではと思ったりもする。
 
定期的に住まいを変えるのもいいかもしれない。今の家はものすごく気にいっていて、正直ここから出る事はよっぽどのことがないと考えられないのだけれど、次の契約の更新の時ぐらいのタイミングで、別の物件を探したりするのもいいかもしれない。

そういうきっかけがなければ、何か思い切って手放したり処分する原動力は得られないものだと思うので。

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