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思考は「逆流」して精巧なものになる?

このnoteでも何回か書いていることではあるけれど、文章を書くうえで一番大事なのは「推敲」だと思う。自分も一発でいい文章が書けることなどなく、とりあえず書いてしまってからあとで直す、というのが基本スタンスである。そもそも、一発でいい文章を書くことを目標にもしていない。

「まずとりあえず書いてしまう」というのが何より大事で、文章の体裁なんてすべて後回し。文章の体裁を整えることと思考を行うことは並行してはなかなかできないので、最初の「書く」段階では、何はともあれとりあえず出してしまうことが大事なのだ。

もっと言うと、文章の中身もスカスカで構わない。いったん、「気づき」レベルのものを書いてしまってから、内容についてどういうことなのかを改めて考えてもいいのだ。

最近、仕事のメールを書くときもこれを意識している。とにかく、最初は体裁など一切気にせずに書いてみる。その後、内容に手直しをして、最後にそれを社外向きに丁寧な文面にしていく。

この作業をやると、ほぼ完璧なメールが短時間で書ける。最初から一発でまともなメールを書こうとすると、かえって時間がかかる。広く言えば創作全般、作曲とか小説でも同じことだと思うんだけれど。

AIの専門用語で「backpropagation(バックプロパゲーション)」というものがある。直訳すると「逆伝播」となり、「情報を逆流させる」プロセスになる。最初に仮説としてデータを立てて処理するが、あとからそれが合っているかどうかを遡って検証し、修正する仕組みなのだそうだ。

文章を推敲する作業は、まさにこのバックプロパゲーションに近いな、と思った。ポイントは、頭の中でそれをやるのではなく、文章という形でいったん出力してから見直す、という点だ。基本的には脳内で完結するのだけれど、あまり複雑なことはなかなか脳内だけでは思考が難しい。いったん、どういう形であっても出力したほうが効率がいいらしい。

最近、人はいつでも自問自答をしているのではないか、と思うようになった。というのも、幻聴が聞こえる人というのは世の中に一定数いるが、幻聴というのは要するに自分の声を聴いている状態なのだと思う。

自分自身の心の声なのに、ちょっと精神に異常があると、それを人の声のように認識してしまう、と。ということは、あまり意識していないだけで、本当は四六時中、自分と会話しているのだろう。

自分は何かの作業をしているときについ考え事をしてしまうタイプなのだけれど、そういう意味では集中力が低いほうかな、と思う。何か新しいことを考えていることもあるし、ちょっと前に読んだ文章とか、人との会話を思い出して、反芻していることも多い。考えてみれば、文章を書いてそれを推敲する作業というのはそれを視覚的にやっている感じだな、と。

ここでひとつ疑問なのが、「自分との会話」って言語でやりとりするものだけなのかな、ということだ。基本的には言語だと思うのだけれど、自問自答って常に言語だとも言えないような気もする。抽象的な思考とかも結構あるし。

抽象的な思考の場合、それは言語ではないわけだから、記号などでやりとりしているということになるのだろうか。それはそれでよくわからないけども。もしかしたら、生成AIが次に踏み込むのはこういった領域なのかな。

話を戻すと、人間の基本思考は「自問自答」だと思うのだけれど、脳内でやっているだけではなかなか複雑なことは考えられないし、堂々巡りに入ってしまうこともあるので、やっぱり文章や図にして書く、というのが一番いいんだろうな。自分の文章はあまり読み返さないけれど、書くときはやっぱり読み返す。いったん完成すると、それでそのテーマの思考は終了、ということになるのだろうか。

しかし、noteの場合は、また時間が経つと別な切り口を思いついて、また新しい記事が生まれる。その繰り返しである。これもまた、長期的なバックプロパゲーションと言えるだろうか。

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