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「ストレス解消」を考える前に、まずは「ストレスとはなにか?」を考えなければ

現代社会はストレス社会だと言われる。「ストレス解消」について考える機会はそれなりに多いだろう。しかし、何回かこれまでに書いたことがあるのだが、定番の質問である「あなたのストレス解消法は?」という質問に対し、自分なりの答えが導き出せない。そもそもこの質問にピンときたことがない。

多分自分にとっての一番ストレス解消っぽい行動は「温泉に入ること」なのだが、それがすべてを解決するとは思ったことがない。温泉に入っているときは確かにリラックスできて気持ちいいのだが、もとの生活に戻れば、ストレスもすぐに元通りである。自分にとっては、「ストレス解消」ということにはほとんどなんの意味も感じていない。

ストレスを解消するには、ストレスの発生源そのものをなんとかしないと意味がないのでは、と思っていた。まあそれは確かにそうなのだけれど、もう少し踏み込んで、「そもそもストレスってなんだろうか?」ということについて考えてみたい。

ストレスの正体は、「他人から圧力を加えられること」だと思っていた。しかし、どうもそれでは本質を捉えられていないような気がする。

最近は「自分はこうしたいけど、実現できない」というもどかしさがストレスの本質なのではないか、と思っている。つまり、何か圧力や負荷がかけられることではなく、ただ単に「自分がやりたいことに対する抑圧」なのではないか、ということだ。

出かけなければならないのに子どもが愚図って準備をしない、旦那がいうことをきかない、などなど。上司や同僚が邪魔してきて、自分の本来の業務に集中できない、とか。

やりたいことややるべきことがあり、それに集中したいのに、それを妨害されたり、思い通りにならなかったりするとストレスが溜まる。それもストレスの一種、ぐらいに思っていたのだが、むしろそれがストレスの本質、それがすべてなんじゃないか、というような気がしてきた。

そうだとすれば、ストレス解消のための手段はふたつしかないことがわかる。自分のやりたいことをやるか、いまの状況をストレスと思わないようにするか、の二択である。

最近、仕事が忙しいのだが、難しい仕事が多いというよりは、こまごまとした仕事がたくさんあり、本来自分がやるべき仕事に集中できない、という状況である。いつまでたってもタスクが片付かないのがストレスだった。

しかし、なるべく残業をするようにして、定時後に本来やるべき仕事に集中するようにしたら、けっこう仕事が片付いてすっきりしている。まあ、長時間労働になるのはよくないことではあるが、「やらなきゃ」と思いながら手をつけられない状態が続くのはいいことではないな、とあらためて思った。

そういうタスクが溜まってきたら、日々のルーティンタスクをしない日を設けるぐらいの気持ちで対処してもいいかもしれない。

ストレスに感じなくなるためには、そもそもストレスと思わないようにする、というのも有効だと思う。あらかじめ逃げ道を確保しておく、とか。懐に退職願を忍ばせながら、いざというときはそれを出すという気持ちで仕事をすると、ストレス軽減になるかも。

「まじめな人ほどストレスフル」という現象もこの原理に当てはめるとわかりやすいのではないだろうか。まじめな人ほど「こうあるべき」という型があり、その型におさまらないとストレスが溜まる、と。

ストレスが溜まってしょうがないという人は、ひょっとしたら思考に柔軟性を加えるとうまくいくかもしれない。現実は基本的に自分の思い通りにならない。思い通りにならないことをストレスに感じるのではなく、そういうのもアリか、と思い直すということである。

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