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思っていたよりも暗記は不要で助かった

何回かこのブログでも書いていることなのだが、僕はかなり記憶力が悪い。

特に固有名詞なんかは記憶することを脳が拒否しているようで、片っ端から忘れていってしまう。覚えるのが苦手と言うより、覚えているのが苦痛なのかもしれない。

何かを記憶しているという状態というのは、脳のスペースを圧迫しているようで、自分にとって苦痛なのだ。

できればなにかを覚えていなくてはならない状況から脱して、頭の中をすっきりさせたい。その分の領域を思考にまわしたい。常にそう思っている。

そんな感覚で生きてるものだから、学生時代の成績は惨憺たるものだった。一応中学受験をしたので、中高一貫の進学校に通っていたのだが、成績はその中でも落ちこぼれだった。

でも学校自体が楽しく、友達ももちろんいたので、学校自体に嫌だった思い出はない。でも、大学受験は失敗したと自分でも思っているし、あんな暗記を強要されるぐらいだったら、たとえ戻れても学生時代に戻りたくない、とさえ思う。
 
そもそも、人から教えられた通りに物事をやることさえ嫌いなようだ。趣味のほとんどは独学で、誰かから教えられた経験はない。これの通りにやりなさい、と言われたことに黙って従う、ということができないのだ。

たまにこのブログでも、守破離というか、セオリーを守って身に付けることが大事だということを話しているけれど、僕自身は甚だ苦手である。

この年になって、やっと重要性がわかってきた。いままでは、あらゆることをすべて我流でやってしまっていた。
 
でも実際のところ、社会に出てから暗記しなければならない場面が減ったために、とても助かったと思ってる。ノートやパソコンを活用すれば記憶しておく必要性はほとんどなくなったし、忘れてしまっても後から調べることが可能だ。

商談や打ち合わせで出る内容はきっちり覚えておかなければならないので、議事録をきちんとまとめる癖がついた。その議事録も別に全てを丸暗記する必要はなくて、印刷して持っていけばいい。「どこに何が書いてあるか」がわかれば十分だ。

大体、どれほど記憶力に自信がある人でも、それまで自分が経験したこと全てを丸暗記できているわけではない。

なぜ暗記が苦手なのか、と言うと、答えはとてもシンプルだ。面白くないのだ。暗記とは、「正解」をソラで言えるように記憶する作業であって、それが100%できたところで、なんら面白みがない。

ゼロベースで自分の頭で考えると言うのは確かに大変だが、発想を広げていくのは面白いと感じる。面白いと感じたいがために、自分の頭で考えているようなものだ。
 
暗記が得意だと言う人は世の中にたくさんいるに違いない。学生時代、「勉強ができた人」というのは、少なくとも暗記が苦手ではなかった人たちなのだろう。しかし実際に社会に出ると、暗記だけが求められる能力ではない。

僕は学生のとき暗記が嫌いだったのでさんざん苦労したが、社会に出てからはそうでもなくなった。ステージが変わったと言うことだろうか。
 
暗記が不得意な人は、社会に出てもわりとなんとかなるので安心してください。暗記が得意な人は、それだけではやっていけそうもないという見通しをたてつつ、それを生かす職業を探すといいと思います。以上。

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