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他人を評価する能力は必要ですか?

社会人になると、「他人を評価する」場面が増える。

代表的なのが、企業の採用面接だと思う。面接は人事担当者と役員ぐらいしかしないものと思われがちだが、実際のところは、現場担当者として面接をすることも多々ある(会社の規模にもよるが)。通常、会社員になるためには面接を経てなるわけだけれど、入社後は「面接をする側」として相手を見ることになる。

人にもよると思うけれど、自分が面接を受ける機会よりも、面接をする機会のほうが多いのではないだろうか。
 
当たり前だけれど、他人を評価するのは非常に難しい。特に、面接などという限られた状況の中で、相手の能力を正確につかむのは不可能に近い。

一番参考になる情報はやはり履歴書で、僕はここでかなりの能力を判断することにしている。というのも、口ではなんとでもいえるけれど、経歴は「事実」なので、嘘はつけないからだ(経歴詐称でもしていない限り)。なので、経歴での見極めはかなり重要で、質問もここに対する質問が大半になる。
 
といっても、学歴の良しあしで判断しているわけではなく、経歴の「不自然さ」を見ている。ものすごく高学歴なのに、それに見合っていないように見える企業に就職した場合、それはなぜなのか、と問う。そこでどういう回答が出てくるかによって相手の力量を推し量る。

もちろん、こう書いてはいるものの、そんなものが100%当たるはずもなく、よくて2~3割だろう。ヘンな経歴書だなと思って採用した人で、その後活躍する人というのは何人も知っている。もちろん、その逆もいる。事実ファクトを元に判断を試みるものの、最終的には勘? なのかな、と思う。

とはいえ、経験がある人とない人では質問の鋭さは違う。というのも、経験が豊富だと、「相手が言っていないこと」がわかるのだ。「これをやったということは、当然こういうことも経験しているはずなのだけれど、そういった発言がないな」と思えば、それについて質問をする。

そこで返ってくる言葉がまだ足りないなと思ったらさらに引き出す。生々しい体験が返ってきたら、「ああ、きっと本当なんだろうな」と思うが、そうでない場合は、「ちょっと盛ってるのかな?」と考えたりする。


 
一方で、「他人を判断する能力」がそもそも必要なのか、ということも最近たまに考える。なぜなら、そんなリトマス紙みたいな能力を磨かなくても、ある程度の時間が経てば誰にだって自然とわかることだからだ。

どんなに優秀さを装っていても、1年、2年、…5年と時間が経つうちに、だんだん「メッキがはがれて」きて、その人本来の実力があらわになる。もし仮に10年単位で周囲を欺くことができたなら、その人の実力はある意味で「本物」だと言っていいだろう。

だから、その人の人となりを知るには、その人の旧知の人に聞いてみるのが一番確実で、手っ取り早い。つまり、その人の評価というのは、事前に知るためにはかなり鋭いカンと、超能力的な何かが必要になるのだが、ある程度時間が経てば普通の人にも判別ができる、ということだ。

だから、本当に重要な人を採用する際には、ヘッドハンティングか、リファラル採用人からの紹介が適切、ということになる。少なくとも、ある程度の実績がないとお話になりませんよ、と。


 
別に偉いわけでもない他人に評価されるのは不快なので、僕もなるべくなら人を評価なんてしたくはない。それに、たとえ評価が悪い人とでも、一緒に物事を進めなければならない場面というのは多々あるものなので、そういうときにどういう対処ができるか、ということのほうが重要な気がする。
 
他人の実力を評価して推し量るのではなく、もっと謙虚でありたいですね。

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