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情報があればなんでもできるという勘違い
Twitterで、とある漫画家が読者からの質問を受け付けていた。その中で、「漫画を描くのに必要なインプットってどういうものがありますか?」というものがあった。
それに対する回答として、「いまの人は普通に生きているだけでインプットは出来ているので、意識的に何かを入れる必要はないです。必要なのはアウトプットすることです」と回答していた。
何気ない回答ではあったものの、なんとなく、胸のすくような思いがした。
現代は「ハウツー」が溢れている社会だ。本屋に行けば山のようにハウツー本が売られているが、わざわざ本屋に行かなくても、YouTubeを開けば、車の改造から魚の捌き方まで、ありとあらゆるハウツーが投げ売りされている(しかも、動画投稿者はその道の専門家だったりする)。
そういったハウツーが世の中に溢れているので、そういうものを見たり読んだりしているだけで、何かができるような気分になるのは当然のことかもしれない。しかし、それは盛大な勘違いなのだ。
先述の漫画家の回答にあったような、「何はともあれアウトプットが大事」という意見の真理はここにある。目で見てわかっていることと、実際にやってみることでは天と地ほどの差がある。
何かを作りたいと思ったら、やり方を勉強する前に、ともあれ作ってみることが大事。作ってみると、とても目で見ていたときとは同じようにできないことがわかるだろう。そうやって「壁」を感じたときにはじめて、ハウツーを参照すればいいのだ。
幸い、前述の通りハウツーはいくらでもあるので、わざわざ山奥の仙人のところまで行って教えを乞う必要はない。それこそ、本屋に行ったり、YouTubeを開けばいいだけだ。しかし、そのハウツーはあくまで「介助」であり、本当に値打ちがあるものは、壁を発見しどれだけ試行錯誤できたか、という自分の経験値なのである。
以前から、「アウトプットすることによって、インプットに対する感覚が敏感になり、精度があがる」ということを書いている。「インプット」というのはかなり曖昧な概念で、小説家になるために小説を読みまくっても、文章力は身につかない。
漫然とインプットするのではなく、実際にアウトプットをしてみて、何らかの「壁」にぶつかってはじめて、インプットが生きてくる、ということなのだ。それはすなわち、先人たちの工夫が読み取れるようになる、ということである。
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最近僕がやっている将棋でもこれはかなり顕著で、まずは自分で指してみないとはじまらない。実際に指してみて、うまくいかない、どうしたらいいんだろう、という経験があってはじめて、プロの棋譜を見ても学べるところがある。
はじめからプロ同士の棋譜を見て、なんか自分でも指せそうだ、というのはとんでもない勘違いである。素人目には絶対にわからない、水面下での読み合いの攻防があるものだからだ。その攻防に気付けるようになるまでも非常に長い鍛錬が必要だ。
キャリアに関する考え方である、「資格を取っておけば食いっぱぐれない」という勘違いも、こういうところから生まれているように思う。資格があっても、実務経験がなければ相手にされないことがほとんどだ。
それは、資格を持っているだけでは仕事はこなせないからである。つまり、「経験値」、「試行錯誤の量」が不足しているからだ。
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経験値とは、煎じ詰めれば、こういう状況になればこういう対策がある、という「打ち手」の情報のことで、それは実際にアウトプット、試行錯誤をした結果なのである。
それを身につけるには、まず手を動かさなければ、と。
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