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現代社会は、消費者に「タスクを押し付ける」ものが多すぎる

いつものようにnoteを巡回し、あやめしさんの書いた以下のnoteを読んだ。

テレビ番組を録画しているらしいのだが、録画したものが溜まってしまい、かなり容量を圧迫してしまったのだとか。それで、もう絶対にすべてを見切ることはないと割り切り、思い切って録画したものを消してしまった、という話。

それで、「もったいない」といった感情よりも、「タスクを消化した」という気分になった、とのこと。これはかなり面白い感覚だな、と思った。もともとは自分が見たくて録画したはずなのに、それを全く見ずに消してしまうとスッキリする、という感覚は実に面白い。

テレビ番組は基本的には「流れていってしまうもの」なので、一度逃すともう見ることができない。なので、テレビを録画することができる機械が登場し、その機械を買えばその時間に張り付いていなくても見逃すことはなくなった。しかし、そのせいで無駄なものが無数に録画されるようになってしまった、と。

僕はテレビの録画をこれまでの人生でしたことがない(学生時代、家族が録画したものを一緒に見たことはあったが)。一人暮らしをはじめてからは、テレビを録画する機械をそもそも持っていない。

しかし、たまにNHKのドキュメンタリーなどで見たいものがあることがあり、そういったときは少し困る。仕方がないので、リアルタイムで見るしかない。しかし、たいていは一回見ればそれで済むので、少し不便ではあるけれど、時間を合わせてリアルタイムで見る。どうしても都合が合わないと見れないのだけれど、「まあ、それでもいいか」と流してしまう。

しかし逆にいうと、そうやって「流してしまう」ことで、別の時間を使うことを回避しているわけだ。そのときにその時間が確保できなければそれで終わり、と。別の時間に侵食させない。

よく言われることではあるが、現代はコンテンツに溢れ、もはや一生かかっても消費しきれない状態になっている。

自分はテレビをあまり見ないのだけれど、YouTubeはよく見る。有料会員になっていて、動画をダウンロードすることができるのだけれど、電車の中で見るときにストリーミングだと通信料がかかるので、自宅である程度動画をダウンロードしてから出かけたりする。

もちろん見たそばから消していくのだけれど、放っておくと見ていないものがどんどん溜まっていってしまうので、ときどき一掃したりしている。まあ、これはもともと無料のものだし、ダウンロードも簡単なので、別に消してもなんら支障もないのだけれど。

いまの時代はどんなコンテンツでもすぐ手に入る時代である。少なくとも、コンテンツがなくて退屈することはない。本を買ったけれど読まずに積んであるもののことを積読つんどくというが、読む本を買い溜めなければ、積読にならない。本はいつでもどこでも買えるのだから、読みたいときに買えばいいのだ。

やたらと消費者に消費を迫るものが世の中には多い。その消費行動は「タスク」となり、消費者の負担になっている。

個人的には、買い物をした際についてくる「ポイント」も似たようなものかな、と思っている。「ポイントを貯めなきゃ」という行動を促され、「ポイントを使わなきゃ」という行動をまた促される。個人的にはポイントを意識して生活するのが非常にストレスである。それが趣味の人はいいが、自分はそのリソースをもっと別のことに割きたい。自然に溜まるポイントを自然に使う分にはいいのだが。

「コンテンツ」も「お金」も、あればあるだけ溜め込もうとするのではなく、必要なときに必要なぶんだけ、という心構えがないと、現代社会では疲弊してしまうだろう。

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