人類の叡智は、意外と見えないところにある

最近のゲームは映像が非常にリアルになっていて、まるで現実世界か、と見紛うほどのクオリティのものも出てきている。
 
しかし、もちろん現実世界とゲームは全く異なる。その際たるものは、「アイテムの実在」の概念だろう。

ゲームは、どんなアイテムであろうと、入手の条件を満たせばすぐに手に入り、データなので無限に持ち歩けて、いつでも使える。しかも、「耐久性」という概念がなく、無限に使用することができる(そういった制限をつけているゲームを除く)。

現実世界では、モノは質量があるので重いし、経年劣化していくのでそのうち壊れてしまう。そこに大きな制約がある。


 
ゲームのシナリオで、何かのアイテムを製造することになったとする。まず、それを作るための設計図が必要。そして、それをつくる人が必要。あとは、材料さえあれば作れる、みたいなシチュエーションになることがある。

だいたいは「おつかい」的な展開で、シナリオ上、そのいずれかの要素が欠けていて、それを取りに行け、となる展開である。
 
現実世界では、設計図・製作者・材料だけがあってもものが作れるわけではない。日常的に使用しているほとんどの工業製品は手作業ではなく、それをつくるための機械が必要だ。

どんなシンプルなものでも、職人がハンドメイドで作っているわけではないのだ。もしハンドメイド品だとしたら、価格は数十倍、数百倍に跳ね上がるだろう。

手頃な価格で手に入れるためには、それをつくる機械が必要なので、誰かがその機械を設計し、製造したということになる。当然ながら、誰かがそのための資金を投じているわけで、その資金を提供した人もいる。

そういったものすべてが製品の背景にあって、はじめて個人が手に入れることができる工業製品が出来上がる。
 
それだけではなく、そもそも「製造する工場」自体もだれかが設計しなければならない。僕の父は元エンジニアなのだが、正確な職種は「プラントエンジニア」だったというのをわりと最近知った。「機械を設計している」というのは聞いていたが、実際には機械だけでなく、それを製造する工場も建設していたわけだ。
 
テスラの工場を見ると、「工場」を建設するのがいかに重要か、というのがわかる。

CEOのイーロン・マスクのインタビューなどを見ても、テスラの真髄は明らかに成果物としての「製品」そのものではなく、この「工場」の設計と運用にある、ということがわかる。

超金持ちだけが乗れるスーパーカーならば職人が手作業でやればいい話だが、テスラのように大衆車に挑戦するメーカーというのは、こういった努力が必ず背後に潜んでいるわけだ。

さらにいえば、工場だけでもモノが作れるわけではなく、製造にあたっては無数のサプライヤも必要になる。そう考えると、製品というのは設計図があってポンとできるなんてのはとんでもなく、生命のように複雑な生態系が生み出している、ということがわかる。果てしないですね。


 
ゲームの世界では、アイテムは単なるデータなので、出したり消したりも自由自在だ。しかし、現実世界ではそうもいかない。その裏には、こういう深淵な世界があるというのを知ると、また世界の奥深さを知ることができる。人類の叡智は、意外と見えないところにあるのだ。

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