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なぜ遠い国のニュースを読むことが重要なのか?

相互フォローしているnoterさんが、音声配信で「自分に身近な情報と、遠い世界のニュースについて、どのように接すればいいのか」ということについて話していたので、少し自分でも考えてみたい。
 
何度か、ブログでも「新聞を読むことの大切さ」について書いているけれど、あらためて考えてみる。「新聞を読め」とよく言われるけれど、なぜ新聞を読むことが重要なのか。

新聞記事のほとんどは、自分の日常生活とは無関係だ。ミャンマーでクーデターが起きたとか、アフガニスタンで治安が悪化していることなどは、自分の生活とはほぼ無縁といっていいだろう。

グローバル化によって、海外で起きていることが影響することは全くないわけではないが、影響は限定的だ。最近だと、マクドナルドがSサイズ以外のポテトを販売停止にしていたが、せいぜいそれぐらいなものだ。

それよりは会社での自分の立場、家族との関係性のほうが大事、というのはまさにその通りだと思う。


 
少し視点を変えて、学校の勉強について考えてみる。以前、ある女性タレントが学校教育に対して、「学校は過去のことばかり教えて、未来のことを教えてくれなかったからつまらなかった」と語っていた。

それはそのはずで、学校は、「すでに決まりきったこと」を教えるのが目的だ。つまり、「耐久性の高い情報」を教えているのである。学校で教えている内容は、多少古臭いかもしれないが、一生その人が生きていく中で変わらないであろう情報を教えている。

数学はその最たるもので、100年どころか、一万年経っても変わらないだろう。つまり、「変わらない」ので、その情報は「ものを考える土台」になる。
 
ニュースはそれと比較すると、多少耐久性が低い。今年ニュースで報道している内容は、来年には全然違う状況になっているかもしれない。しかし、世の中全体に関係することをニュースでは取り扱っているので、「流れ」を掴むのに役立つ。つまり、「流れを読むことで、次に何が起きるかを予測する」のである。

耐久性はさほどないので、世の中の大きな流れを漠然とつかみ、「考える土台」とする。ニュースで関心をもった事項を、自分で調べて深堀りしていくと、さらに強固に「考える土台」を築くことができるだろう。

僕も、読む本を選ぶときは、ニュースで関心のある分野を基準に選ぶことが多い。
 
たとえどれほど会社の業績がよくても、世の中の流れ自体が変わろうとしていると、産業ごとなくなってしまうおそれがある。代表的なのは、いまのトヨタ自動車だ。

トヨタの時価総額は36兆円で日本企業トップ、売り上げ高は年商で15兆円を超えていて、まさに磐石という地位を築いている。一方で、世界は脱炭素の流れを加速していて、EVシフトが止まらない。

これは、地球温暖化を防ぐという意味はもちろんだが、状況をみると「トヨタを潰しにかかっている」とも見れる。トヨタの技術と、その生産を支える無数のサプライヤーは、「現時点におけるルール」では最強なのだが、EVシフトという「新しいルール」では、今まで培ってきた技術や設備、仕組みは無効化され、新しい仕組みが導入されるので、「ガソリン車」に強みをもつトヨタはまさに危機的な状況と言える。

もちろん、トヨタは頭のいい人たちが大勢いるので、それに対抗する策は練っているはずだが、そういった大きな流れを知るため、そして自分の頭でものを考えるために、「大きな流れを知る」ことが必要、ということだ。

トヨタという一流企業に就職できたからもう一生安泰、と思っている人がいたとしたら、それはとんでもない勘違いということになる。「世の中の流れ」が読めていないからだ。


 
また、ものを考えるだけではなく、「人と話す」ためにも、教養やニュースは欠かせない。いま、自分には関係のないことであっても、それに大きく関わっている人たちと話をするためには、その背景を知っていないとお話にならない。
 
とはいえ、ニュースはひとつひとつを暗記する必要はなく、「情報のシャワーを浴びて、流れを掴む」ことが必要だと思う。何かを考えたり、人と話したりする土台にすぎないからだ。そこからどれだけ思考を発展させられるかが、その人の思考力だといえるかもしれない。
 
「最新の情報」が重要なのではなく、ものを考えるにはいかに「変わらない情報」を抑えるかが重要。ニュースは移り行くものなので、とにかくたくさん流し込み、「流れをつかむ」ことで「全体像」を捉える。

そういったことがいえるのではないかと思う。

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