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ディシプリンの値段

最近、パーソナルトレーニングのジムが流行している。いや、こうやって書き出してはみたけれど、実際はいまはそれほど流行っていないかもしれない。

以前、広告をよく目にしていたような気がしたが、最近は広告もあまり見ない。もしかしたら景気が悪いのかもしれない。しかし、ちょっと前は流行って、一世を風靡していたのは確かだ。
 
パーソナルトレーニングに通ったことのある人の話を聞いたことがある。「トレーニング内容自体は、必ずしもパーソナルトレーニングでなければ得られないものではない」とのことだった。

では、なぜパーソナルトレーニングに通うのか。「パーソナルトレーニングだからサボれないし、常に応援され、声かけされる。それにお金を払っているのだ」、ということだった。
 
僕からしたら、マゾかと思う。だって、本来であればしたくもない運動をして、お金もそれに余分にかけるわけだ(ジム代に加えて、インストラクターの人件費も払うわけだから、金額がかさむに決まっている)。

自分で「声かけに対してお金を払っている」ということがわかっていながら、なんでそんなつまらないものにお金をかけるのか、と思う。もっと、別のやり方を考えてみればいいだろう。


 
自分を監視するものにお金をかける人は多い。自宅で勉強をすればタダなのに、わざわざカフェに行って勉強をする人はその代表だろう。

もっとお金をかけて、「自習室」なるものに通う人もいる。これはおそらくパーソナルトレーニングほどにはお金はかからないだろうから、「環境を整えて、効率をあげる」程度の効果かな、とは思うけれども。

でも、大なり小なり、「自分を監視させるため」にお金を払う人は、少なからずいる、ということだ。
 
でも、それを聞いてひとつ思うのは、規律(ディシプリン)を獲得するために対価を払うケースが多い、ということだ。言い換えれば、自力でそれを獲得できれば、その分のお金を節約できる、ということになる。

ディシプリンの獲得はそれほど難しいことではなくて、自分に何かを課して、それをこなす、それに尽きる。パーソナルトレーニングや勉強で求められるのは、おそらくそういう規律だろう。もちろん専門家の意見を聞くことも必要だとは思うが、筋トレのメニューなどはネットで検索したり、本を買ったりしてもそこそこのものができあがるはずだ。

でも、実は一番難しいのが、普遍的かつシンプルな「規律」を獲得することだ、というのは皮肉なことだ。


 
結局のところ、拡大していけば日常生活すべてに規律が必要なわけだから、自力でそれを獲得できない人は、際限なくお金をそれに使ってしまうのでは、という気がする。朝早く起きられない人、掃除ができない人、お酒がやめられない人、などなど。

それに商機を見出して、ビジネス化する人が出てくるかもしれない。テレワークで在宅勤務の人が増えたけれど、ますます自分に規律を要求することが増えてくるだろう。せめて運動ぐらいから、規律を自力で獲得することを試してはみてはどうか、と思うのだけれど。
 
自分で自分に何かを課す場合、無期限にそれをするのではなくて、一定の期間を設けるといいな、と思う。何が起きても、その期間まではやり切る、という「契約」にすればいいのだ。

人生でいい対価を得るために、それなりの規律を。そんなに、難しいことではないと思う。

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